引っ越しました よく分かってませんが

 こちら、「はるるの勝手に独り言」なんですが、タイトルをどうしてよいのやら。

 はてなダイアリーが終わるから、はてなブログにインポート云々という、私にとっては謎のお知らせを受けてから幾星霜。
 とうとう、引っ越しせねばならぬらしいということで、入院中で余裕があるのを幸い、昨日、インポートなるものをしてみた…つもりのはるるです。
 本当にこれでいいのだろうか、不安だ。

 入院というのは、子宮筋腫その他切除の手術でして、先週受けました。バレンタインデーに。
 開腹手術でしたので、おなかに力が入らないとこんなに情けないということを体感し、健康ってすばらしいものね!と月並みながらも、失ってみて初めてわかるありがたさを痛感しております。
 ほんとに、さっさと速足で歩ける、痛みもなく走ることができる、なんて恵み以外のなにものでもありませんよ、そこの方。当たり前って、すごいことです!
 心から感謝するように!(って、いきなり何者だ、あたしゃ)。
 
 さて、明日、退院予定ですが、やっと少し痛みも治まり傷口のテープもはずし、少しずつ日常に戻りつつあるところ。

 入院中に読んだのは、次の三冊。

  

野鴨 (講談社文芸文庫)

野鴨 (講談社文芸文庫)

 

 

 

用事のない旅 (わたしの旅ブックス)

用事のない旅 (わたしの旅ブックス)

 

 

 

還暦着物日記

還暦着物日記

 

 

 今回、庄野潤三の『野鴨』を読んで、何気なく、なんでもないことを書いているみたいだけど、実際の所、これはすごい文章、文学なんだと(今更ながら)打たれて感動してしまいました。

 庭の風景をただ書いているみたいでいながら、実のところ、何を選び、選んだものをどう書くかという、取捨選択と描写の仕方、家族のなんでもないような小さな出来事を書き、庭の情景を書く、この二つの要素の混ぜ方の絶妙さ、一つのパートを終わらせるときの最後の一文をどう置くかも、まさにピースがぴたりとはまったような、これ以外の終わりはありませんという感じで、全体との兼ね合いが素晴らしくて、それまで、なんということもなく読み流していた己の不覚をしばし猛省しました。

 まるで目が突然開いたみたいに、庄野潤三の文章の凄みにやっと気づきましたわ。

 『野鴨』の頃の庄野潤三は数年置きに重要な賞を次々と受賞していた頃なので、いわば油が乗り切った最高の充実期、黄金期にあった作家だったわけで、すばらしかったのもむべなるかな、なんですが、それにしてもいやはや。

 30のパートに分かれているこの作品の「三十」の最後の部分なんて、うーんと唸ってしまいました。

 全体の話(知り合いの「じいさん」が亡くなったことを知る話と、自分の親族の法事の話をつなげて、次兄の話になる)をしめくくるに、これだよね!という文章で終

っている(と思う)。

 

小さい葉が一枚、宙を斜めに流れるようにして山もみじの下へ落ちる。

まだらにこぼれた日の、まるい輪に入って、金色に光った。

 

  いやあ、作家ってすごいんですね。

  家の日常書いているみたいで、単なる高級ブログではない。最晩年の庄野さんの作品はいささか高級ブログ化しているところ、なきにしもあらずだったので、知らず知らずのうちに舐めてました。すみません。という気分です。

 

 というわけで、引っ越しして、とりあえず、試しに書いてみました。

 これまで読んでいただいていた方々(方?)が、このささやかなブログを見つけて下さるとよいのですが。

 

 はるる