帰国

 なかなか有意義だった韓国での4日間が終わり、また日常に復帰であります。
 
 かばんの中の本は、結局、『無国籍』ではなく、阿部謹也氏の『日本人の歴史意識』になりました。荷物を少しでも軽くするため,そして韓国に行くのに、中国人の書いた本を読むのもなんかしっくりしないな〜と思いまして。

日本人の歴史意識―「世間」という視角から (岩波新書)

日本人の歴史意識―「世間」という視角から (岩波新書)

 この本を読んで、日本人とキリスト教を考える際、「世間」という視点は大変重要だということを再確認し、この観点から明治のキリスト教を考える必要があるなと考え、また、昨今の歴史認識問題、教科書問題の背後に、事実の探求と歴史の意味の探求の分離があるという指摘に、わが意を得たりと思いました。
 それは、私も自分の経験・体験から、例えば、日本の朝鮮植民地支配の内容という歴史的事実を知識として学生たちに懸命に教えることは意義あることだけれども、それはえてして、頭(知識)で止まって心(相手の苦しみに共感するなど)に行かないか、知識の重みに耐えきれずに拒絶反応(日本をいやになったり、韓国をいやになったり)が出るかだいうことを感じており、「つくる会」に賛同する心性に対して、歴史の事実はこうであるというだけではだめなのではないかと思っていたからです。
 

 歴史学は史料を分析し、批判的に検証し、個々のエピソードを慎重に再構築してきた。歴史的批判的方法の中で有益な方法が生み出され、狭い学問の領域を超えて有効に用いられている。歴史神話との闘いはその独自の戦場で、歴史神話を作り上げている要素が誤りだということを示すことによってなされている。歴史的神話もその活動分野を限定し、学校で教えられる知識を馬鹿にして歴史学者に事実の探求を任せ、歴史神話は歴史家がなおざりにしてきた歴史の追体験に集中し、証明も批判もなしに歴史を追体験し、感情に訴え、過去にある種の意味を与え、歴史の中でいつかは真実が勝利するようにと願う人々の関心に応えている。人々がしばしば歴史的神話の虜になるのは愚かさのためではなく、歴史の意味を確かめようとする心からの要請があるからなのである。(176〜177pp)

 う〜ん、奥が深い問題だなあ。

 はるる