ボンヘッファーの言葉
今、『キリスト教を問いなおす』を読んでいます。もうすぐ読了しますが、これはいろいろと適当に流したりしないで、真剣に考えねばならない問題提起がたくさんある本で、何度かじっくり読み直さないと、と思っています。この本といろいろ対話して自分のキリスト教信仰を問い直してみたい。新書なのが残念です。もっと深く書いて欲しいなと思うことところがちらほら。
でも、これはきっと、自分で考えなさいと神から呼びかけられているということなのだと思います。
時間がないので、この本に引用されていたボンヘッファーの言葉をメモ代わりに書いておきます。
私の琴線にびーんと触れました。
われわれと共にいる神は、われわれを捨てる神である(マルコ福音書15章34節!)。「神」という作業仮説なしにこの世でわれわれが生きるようにする神こそ、われわれが絶えずその前に立っている神である。神の前、神と共に、われわれは神なしに生きている。
われわれがキリスト者であるということは、今日ただ二つのことにおいて成立するだろう。つまり祈ることと、人々のもとで正義を行うことにおいてだ。
おまけ:サン=デグジュペリの『闘う操縦士』から
何世紀ものあいだ、わたしの属する文明は、人間を通して神をみつめつづけてきた。人間は神の似姿として創造された。ひとは人間のうちで神を尊んできた。人間たちは神において兄弟だった。その神の反映はひとりひとりの人間に譲渡不可能な尊厳を与えてきた。神と人間の関係は、各人の各人にたいする、あるいは各人の他者にたいする義務を自明ものもとして基礎づけてきた。
- 作者: 土井健司
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2003/08/01
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