アーミッシュの赦し

 この間から『アーミッシュの赦し』を読んでいます。

 

アーミッシュの赦し――なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

アーミッシュの赦し――なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

 2006年10月に非アーミッシュの男性(チャールズ・カール・ロバーツ四世)がペンシルヴァニアのアーミッシュ学校に押し入り、女生徒5人を射殺、さらに5人に重傷を負わせてから自殺した事件が発生。

 俗世間から隔絶しているように思われていたオールド・オーダー・アーミッシュのコミュニティで、このような犯罪が外部者によってではありますが発生したことは全米に大きな衝撃を与えました。
 しかし、更なる衝撃がその後に待ち受けていました。

 すなわち、アーミッシュが犯人を赦すと明言し、それを態度で示したこと。

 驚いたことに、事件が発生したその日に、アーミッシュの一部は犯人の遺族(妻エイミーと子供たち)は自分たちよりももっと事件の犠牲者である、つまり、夫(父)を失った上に、自分の家族が凶行を行なったという恥を忍ばねばならず、プライバシーも暴かれているということに気がついて、すぐさま犯人の家族を訪ねて「あなたたちには何も悪い感情を持っていませんから」「私たちはあなたを赦します」と伝えています。

 さらに、被害者の遺族も事件の二日後に、いきなりレポーターからマイクを突きつけられて「犯人の家族に怒りの気持ちはありますか」と訊ねられた際に、「いいえ」とこたえました。

「もう赦してる?」
「ええ、心のなかでは」
「どうしたら赦せるんですか?」
「神のお導きです」(78〜79pp)

 「あの人たち(ロバーツの未亡人と子供たち)がこの土地にとどまってくれるといいんですが。友達は大勢いるし、支援もいっぱい得られる。」(あるアーミッシュ工芸家。79p)

 

 殺された何人かの子の親たちは、ロバーツ家の人たちを娘の葬儀に招待した。さらに人々を驚かせたのは、土曜日にジョージタウン統一メソジスト教会で行なわれたロバーツの埋葬では、75人の参列者の半分以上がアーミッシュだったことである。近隣の牧師エイモスもその一人だったが、単にそうするものだと思ったからだと言う。
 「自然と、行かなくちゃ、という話になったんです」とエイモスは言った。

 (中略)

 ロバーツの葬儀の前日か前々日、我が子を埋葬したばかりのアーミッシュの親たちも何人かが墓地へ出向いて、エイミーにお悔やみを言い、抱擁している。葬儀屋は、その感動的な瞬間をこう回想する。
 「殺されたアーミッシュの家族が墓地に来て、エイミー・ロバーツにお悔やみを言い赦しを与えているところを見たんですが、あの瞬間は決して忘れられないですね。奇跡を見てるんじゃないかと思いましたよ。
 この「奇跡」をまじかで見たロバーツの家族の一人は、こう述懐する。
 「35人から40人ぐらいのアーミッシュが来て、私たちの手を握りしめ、涙を流しました。それからエイミーと子供たちを抱きしめ、恨みも憎しみもないと言って、赦してくれました。どうしたらあんなふうになれるんでしょう。」(80〜81pp)


 よく、キリスト教信者(特に修道者とか聖職者)は日本社会において「逆らいのしるし」とならねばということを言いますが、アーミッシュのこの態度こそ「逆らいのしるし」だなあというのが、読んでいてまず最初に出てきた私の反応でした。

 キリストに従うということを、言葉でなく行動で示す。

 もう、神なき時代にイエスのメッセージを伝えるにはこれしかないかも。

 このアーミッシュのこうしたあり方を支える神学とは?については、また今度。

はるる