しつこく短歌
風邪をひき、正月早々寝込みました。いまだに引きずる疲労感。久し振りに疲れた〜とため息つきつつ仕事してます。
しかしまあいつまでも正月でもあるまい、とまたもや気に入った短歌について書くのであった。(我ながらしつこい^_^;)
「短歌をヤってない人はおもしろがるが、短歌をヤっている人は、十人中九人まで、たぶんイヤな顔をする」と小池光が書いた仙波龍英の歌。私は「短歌をヤってない人」なので、面白かったです。といっても、関川夏央の本でしか知らないんですが。
たとえば、
「〈ローニン〉の大姉〈ポンジョ〉の姉ふたり東洋の魔女より魔女である」
「ひら仮名は凄まじきかなはははははははははははは母死んだ」
「父逝きて二十数年、母逝きて一年余犬逝きて二ヶ月余(近いほど悲しい)」
個人的には、「近いほど悲しい」に思わず、うんとうなずいてしまいました(不謹慎)。
個人的といえば、自画像を「うさぎ」としているという点で、ビビッと来てしまったのが、永井陽子。(私、「はるるうさぎ」ですので。)
「こころねのわろきうさぎは母うさぎの戒名などを考へてをり」
「あはれしづかなる東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ」
「ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり」
「父を見送り母を見送りこの世にはだあれもゐないながき夏至の日」
「木のしづくこころのしづくしたしたと背骨をつたふこのさびしさは」
永井さんは、2000年1月26日、自死されました(私の誕生日の前の日というのがまた悲しい)。「遺書さえもが歌に託された」と関川夏央は書いてます。
「わたくしが居なくなりてもこの部屋にしづかに月日はながれつづけよ」
「錠剤を見つむる日暮れ ひろごれる湖よこの世にあらぬみづうみ」
※湖には「うみ」とルビあり。
短歌を読むことは、一人の人間の心の内側を覗き見るようなことにもなると分からせられた歌人です。
しんみりしてきたので、最後に違う短歌をいくつか。
「眼鏡猿栗鼠猿蜘蛛猿手長猿月の設計図を盗み出せ」(穂村弘)
なんだか舌を噛んでしまいそう…。
「木染月・燕去月・雁来月 ことばなく人をゆかしめし秋」(今野寿美)
※「こそめづき・つばめさりづき・かりくづき」とルビあり。
疲労感をひきずっている時は、この歌を唱えつつ眠るといいかも。
「春の日はぶたぶたこぶたわれは今ぶたぶたこぶた睡るしかない」(萩原裕幸)
はるる