ハウルの動く城

 先日、大ヒット中の「ハウルの動く城」を観て来ました。駄作説、傑作説と世評は割れているようですが、私個人としては、けっこう面白かったし、出来はいいと肯定的に評価したいです。私にとっては陳腐だった「もののけ姫」やよく出来ているけど何が言いたいんだ?と思った「千と千尋の神隠し」よりいいな。

 確かに後半のストーリー展開がいささか??の部分もありますが、これは、宮崎さんがシナリオを作らずに思いつきでどんどん話を作っていったためと、前半のままのペースで話を続けると上映時間がすごく長くなることに気がついて後半スピードアップしてしまったためらしい。(某映画雑誌の記事を読んでの私の推測。)

 ですが、私は勝手にこの話は関係性の物語だなあと思い入れて見たので、安直と一部で酷評されるラストも、これまでの宮崎アニメとは違う、前向きで未来に向かって一歩前進の結論と受け取りました。(もう一度見たら評価変わってしまう可能性なきにしもあらず。)よーするに、家族の再生、それもこれまでの血縁に頼る家族概念ではなくて、第一世界で顕在化しつつある新しい形態での家族の再生がラストで出ていると思ったということですね。…何のこったい。(ネタバレしないで書こうとするから難しいよー。)

 一部で叩かれていた戦争の描き方も、庶民から見た戦争というのが上手く表現してあるような気がしましたし。私だって別段、戦時中を体験したわけではないので断言はできないですが、庶民に与えられる戦争情報なんて不十分で操作されまくっていると思うと、フツーの人々にとっての戦争は、この映画の中のように、断片的で、全体像も、そもそもの原因も目的も曖昧模糊としていて、急にわが町に降りかかってくるという感じなのではないかなあ。(あ、でも戦時下なのに物資が豊富で配給制ではないのは不自然でないかとは思ったんですけど。なんとなく長期的に戦争している感じだったから。第二次大戦中、あのアメリカですら配給制やったんだし。)

 ついでに言うと、王室付き魔法使いのサリマンの言うことは、私にはアメリカを彷彿と連想させるもので、こういう言説が一番危ないんだ、一番悪いのは、サリマン、お前だ!とスクリーンに向かって内心毒づいてしまいました。サリマンに比べれば、荒地の魔女なんてかわいいものです!私は、彼女が王宮の階段上るところで、好きになってしまいましたよ。

 もっとも、私の一番のお気に入りはカルシファーです。ホントに可愛いやつじゃ。我が家にも欲しいぞー!「カルシファー、お風呂に入るからお湯入れて」「えー、またあ?」なんて会話がしたいです。

 お風呂といえば、ハウルがお風呂に入っていてパニックになるところ、いや、笑わせていただきました。人から見たらくだらないことを自我の支えにしてて、それが失われたと感じるや自己崩壊というプロセスがああいう形で視覚化されるとは。(これはネタバレになるかしらん?) 

 あと、ソフィーの意志に感動しましたね。やはり人間ああでなきゃと個人的に深く思い入れました。

 ま、仕事が一息ついたら、原作を読もうかなと思っています。 

魔法使いハウルと火の悪魔―ハウルの動く城〈1〉

魔法使いハウルと火の悪魔―ハウルの動く城〈1〉

 はるる