新年

 あけましておめでとうございます。

 「新(あらた)しき年の始の初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)」(大伴家持

 東京は大晦日に雪が降り、本当にこの和歌のような感じでした。2004年を表現する漢字として「災」が選ばれてしまいましたが、今年はもっとよい字が選ばれる年となりますようにと祈ります。

 現代短歌で新年を詠ったものはないかとちょっと探してみたのですが見つけきれず、私の好きな大伴家持の、有名な歌にご登場願いました。

 ところで今日は、これまでに何回かご紹介した短歌の多くを何から引用していたのかについて書いておきます。一つは、『現代短歌の鑑賞101』。この本は現代短歌の全体を眺めるのによい本かと思います。これは要するに、現代短歌の詠み手101人の代表的な歌を集めたアンソロジーで、これに目を通せば自分にぴたっと来る歌人を一人は見つけられるはず(たぶん)。私はこの本で、紀野恵、荻原裕幸吉川宏志、小池光といった歌人を(自分にとって)「発見」しました。

現代短歌の鑑賞101 (ハンドブック・シリーズ)

現代短歌の鑑賞101 (ハンドブック・シリーズ)

 それから、岡井隆の『短歌の世界』。この本で記号短歌というものがあるということを、私は知りました。私の雑駁な理解では、記号短歌というのは、
 「世界の縁にゐる退屈を思ふなら『耳栓』を取れ!▼▼▼▼▼BOMB!」
                          (荻原裕幸
といった歌です。(以前にも▼を多用した荻原さんの歌を出したことがありますが、連作だと思います。)この本は、前衛短歌を塚本邦雄とともに切り開き、現代短歌を引っ張ってきた歌人の一人である岡井さんが書いておられます。私のような素人にはぴったりのいい手引書でした。これを読んで私はやっと、どうして「和歌」に「和」がついているか分かりました。漢詩に対して和歌だったんですね。(こんなことも知らなかったくらい無知蒙昧なのであります。)そして、明治以降、ヨーロッパ近代詩という強大な存在を相手に和歌は「短歌」になった、と。こうしてみると、日本というのは、いつも何か外に対抗すべきもの、抵抗すべきものがあって、それに対して自分のアイデンティティを作っている気がします。そもそも「日本」という国名自体がそうでしょ。中国を強烈に意識してつけた「日の本」という名ですから。

短歌の世界 (岩波新書)

短歌の世界 (岩波新書)

 もう一冊は、関川夏央『現代短歌 そのこころみ』です。ここに引用されている歌からはまだこのブログで紹介した歌はないですが、この本で私は永井陽子という歌人について知りました。他にも朝日新聞の論調の「女装」問題など鋭い指摘がたくさんあって、有益な一冊。でも、私にとって何よりも嬉しかったのは、関川さんがこの本を書いてくださったということでした。これまで、ちょろちょろと覗いた短歌関連の本はどれもこれも歌人方が書いておられ、私みたいな短歌といえば、31文字で作るしか知識のない人間が読んでも分かるわけないし、何か語るのもおこがまし過ぎるのでは、という恐れが強くありました。(こんなどーでもいいブログでもどなたが読まれるか分からないと思うとね。)しかし、関川さんは別段、歌人ではない!短歌を読むという歴史は長く持っておられるようで、その読みの深さで私なんぞとは雲泥の差なんですが、それでも、歌人でない人が短歌について語っているというのは心強かったです。それも、私の好きな関川夏央が語っているとなると!というわけで、また別の機会にこの本について触れるかもしれません。

現代短歌 そのこころみ

現代短歌 そのこころみ

 「戦争が(どの戦争が?)終つたら紫陽花を見にゆくつもりです」(荻原裕幸

はるる