黙って行かせて

 読み止しだったヘルガ・シュナイダーの『黙って行かせて』を読みました。なんとも索漠とした読了感。

黙って行かせて

黙って行かせて

 
1941年、ヘルガが4歳の時、熱烈なナチス支持者であり、SSのメンバーだった母は、家を出て行った。絶滅収容所ビルケナウの看守となるために。
 1971年、イタリア人と結婚してイタリアに住んでいたヘルガはウィーンで母に再び会う。母親は、彼女に収容所でユダヤ人から奪った金の装身具を両手一杯に与えようとし、また、親衛隊の制服を着てみるようにと要求する。
 そして、1998年、死期の近い母親にもう一度会うため、ヘルガは再びウィーンに行き、母親の過去を問い詰める。

 この心理戦ともいうべきすさまじさで展開される二人の間のやりとりを中心に、この本は書かれています。私は娘にも母親にも感情移入はできず、半ば呆然と二人の会話(と言えるのか?)を読むばかりでした。
 母親に会うことを実は恐れ、逃げたいヘルガを支えるために、いとこのエーファが付き添っているのですが、私の立場はこのエーファに近かったなと読み終わって感じました。ヘルガが鋭く母を追及しようとすると、肘で突付いてやめるよう合図し、ユダヤ人やナチスを支持しなかった人々への憎しみに満ちた母親の言葉を耳にすれば、青ざめて立ち尽くすエーファ。彼女は『黙って行かせて』の中で、私が親近感を感じた唯一の人でした。

 この母娘の間で交わされる会話は、例えばこんな風です。

「一度だけ、ちょっと気の毒だと思ったことがある……。」
「話して!」
「囚人が一人あたしのブロックに回されてきたの。あたしはその人を知っていた。元同僚だったのだけど、抵抗運動に転身した女だった。だからゲシュタポが彼女を収容所送りにしたんだけどね。あいつったら、あたしを見るなり、顔に唾を吐いたんだよ。」
「それで手っ取り早く撃ち殺したってわけ?」
 私は皮肉たっぷりにきいた。
 だが彼女は私の言ったことを聞いてはいない。
「あたしはその女を売春宿に割り当ててやったんだ。」
「どこの売春宿?」
(中略)
「そう、あれは1943年だったかね。主な収容所に売春宿を設置しろっていう指示があってね。最初にそれが命令どおりに組織されたのは、ブッヘンヴァルトだった、ある朝、あたしたち女看守に命令が下されて、うちのブロックから一番適した女たちを選び出せって言うからさ、あたしはその女を選んだんだよ。」
 彼女の顔がこわばった。でも唇の周りに浮かんだかすかな微笑みが、いい気味だといわんばかりだ。
「その後すぐに、彼女が重い性病に罹って死んだって聞いたんだけどね。」
(中略)
「最初のうちはね……本当にちょっと気の毒だと思ったんだよ。」
 母はまるで自分の弱点を打ち明けるかのように語った。
「でもあたしはまたすぐにそれを乗り越えた。自分の管轄の囚人たちに対して同情や憐れみを持つことは、あたしのやってはいけないことだったから……。だってあの人たちが収容所にいるのにはそれだけの理由があったのさ。だからもうそんな感情が起こることは二度となかった。あたしだって、だてに親衛隊に配属されたわけじゃないからね。普通の市民が持つ感傷なんて、関わりのないものだった。あたしたちには許されないものだったんだよ。」
 もう疑いの余地はない。
 母は自分の感情さえも総統に捧げてしまったのだ。

 自分の思考はもとより感情をも、仕える相手にいわば譲り渡してしまう。ある意味で楽な生き方です。人間は自分の意志によって、そうする、そうできるということが、このように語られると、やはりショックでした。人間性を失うための「厳しい訓練」に耐え、誰もがなれるわけではなかった絶滅収容所の看守にまで選ばれたことを、戦後50年以上経ても、まだ自慢にしている母。なんなんだ、これは。
 頭のどこかで、それは十分ありうると納得する思いがある一方で、決して呑み込めない数学の数式みたいに、ヘルガの母親の言動が理解できない。 
 何度か、アウシュビッツ解放60周年記念式典で、飛び入りで発言した白い服を着た女性が思い浮かびました。「私は16歳だった。ここで奴らは私を裸にして立たせた」といった趣旨のことを語った、あの女性と、この母親。どこにも接点がない。同じ場所にかつて存在したということだけが共通項。

 母親の内面は全て娘の主観によって語られ、娘が母に語りかける調子で全編が綴られているこの話、質は高いけれど、ちょっと違和感がありました。自伝小説という形を取っているのですが、実話としてもう少し突き放した書き方をしてもらったほうが、私にはよかったなあと思います。ヴィーゼンタール・ユダヤ史記録センターから手に入れた母親に関する記録なんて、そのまま出してくれたらよかったのにと思いましたね。客観的に母親というものが見られると思うので。しかし、この作者にとっては、これ以外の書き方は無かったのだろうということも、理解できる気がします。自分の内臓をえぐり出すような、こんな書き方をしなければ、ヘルガ・シュナイダーはこの本を書き上げることは、できなかったのだろうな、と。
 
 ところで、訳者のあとがきでも、ドイツではこの本に対していくつか疑念が投げかけられているとありましたが、私もそこについては、疑問があります。例えば、ユダヤ人犠牲者から奪った金製品やSSの軍服をどうやって保持し続けていたのか(ソ連軍によってアウシュビッツが解放された時、この母親は捕まったと自ら語っているのに)といった疑問です。軍服は後から入手可能かも知れませんけどね。

 とにかく、しんどい本でした。これで、ナチス関連の話題はお休み。次は、『ファンタジーと歴史的危機』についてですね。(殆ど課題図書読んでいるみたいだが。)

 はるる