ファンタジーふたたび

 『ファンタジーと歴史的危機』を読んでみました。こういったことに無知な私には、うってつけの入門書となった感じです。特に、産業革命を一足早く成し遂げた19世紀中葉のイギリスで、なぜファンタジーが誕生したかという辺りの歴史的事情に関して。

ファンタジーと歴史的危機―英国児童文学の黄金時代

ファンタジーと歴史的危機―英国児童文学の黄金時代

 この本によると、ファンタジーの黄金時代はこれまで3回あったらしい。1860年代、1900年代、1950年代。著者の安藤さんは、オルテガの「歴史的危機」という概念を使って、この黄金時代がなぜ到来したかを説明しています。

 オルテガによる「歴史的危機」の定義は、「ひとつの世界観が崩壊し、それに変わる新しい世界観が未だ確立されず、その非連続的変化の狭間で人間が真の自己を見失い、方位喪失の不安に陥っている状態」だそうで、要するに、上記の黄金時代は、それぞれ「非連続的変化の狭間」の時期だったということですね。

 それぞれの時期が直面した不安は異なっており、1860年代は、労働者問題、都市化といった産業革命後の社会問題の発生と、ダーウィンが発表した「進化論」で、1900年代は、ヴィクトリア時代の終焉と工業化による伝統的風景の喪失が進行したことによって、そして1950年代は、第二次大戦の傷からまだ立ち直れないところにもってきて、植民地の独立によって大英帝国が崩壊していくことや、世界経済の中心がアメリカに移動していくことなどにより、イギリスの不安感は掻き立てられていた――ということのようです。
 つまり、方向性を見失った時、その時代はひとまず過去を志向し、「自己同一性」を確認しようとする、過去から断ち切られることに抵抗する、それがファンタジーという形として表現されているということらしい。なるほど。たかがファンタジーと侮るなかれ。(あと、科学技術の発達などによって、現実生活から空想的要素が急速に失われたことも、ファンタジー隆盛の一因として挙げてありましたが、それはひょっとしたら、B・サンダースの『本の死ぬところ暴力が生まれる』の主張につながるかも知れないなあと思っています。サンダースの本、まともに読んでいないので、今のところなんとも言えないですが。)

 私にとり、最も興味深かったのは、やはり第一期黄金時代の1860年代でした。この時期は、キリスト教信仰が進化論によって挑戦された時であり、ファンタジーの中にもこの問題は濃い影を落としているという指摘は、本日の「目からウロコ」って感じでした。キングスリーの『水の子』は、まさに信仰(やキリスト教モラル)と進化論をいかに止揚するかという問題を扱っているとか、マクドナルドの『黄金の鍵』が、ダーウィンの進化論(あるいは、ハックスリーの主張する進化と倫理は相反するという考え方)に真っ向から対立する自己犠牲によって魂は進化するという主張を秘めているとか、おお、なるほど、そうか!と一人納得してました。
 
 19世紀の世俗化と信仰の問題を考えるのに、一つ手がかりが増えたかなという気分です。
 
 ところで、現代も『ハリー・ポッター』シリーズに代表されるように、ファンタジーが次々と書かれ、ファンタジーの映画化も続いていますが、それはやはり、今、私たちは「歴史的危機」にあるということを示しているのでしょうね。
 カトリック教会の保守化の動きも、まさに過去に立ち戻って、先ずは「自己同一性」を確認し…という動きに思えます。すると、教会は一旦下がってから再び前進するということでしょうか。ま、地域によっても教会の動きは違うので、なんとも言えませんが。

 はるる