アウシュビッツ
1月27日に行われたアウシュビッツ解放60周年記念式典を録画したヴィデオを見ました。
私にとり一番強く記憶に残ったのは、まだ式典が始まる前に、アナウンサーだったかインタビューされた研究者だったかが、ユダヤ人虐殺はドイツ人だけの問題ではない、ヨーロッパ全部の問題なのだ、なぜならヨーロッパ全土に何十万という協力者がいたからこそ、これは出来たのだから、つまりはヨーロッパ全体が虐殺をやったのだという趣旨のことを語ったことでした。そういう視点でこの問題を考えたことがなかったので、まさに目からウロコ。これまで、ホロコーストへのキリスト教の関連については考えていたのに、どうしてこの見方が出てこなかったのか。うーむ。
ところで、ヨーロッパのキリスト教会が育んできた神学的な反ユダヤ主義と、そこから生じた中世における様々な教会の決定事項が、どれほど20世紀のナチスの反ユダヤ人政策と重なっているかという一覧表を、以前私は読んだことがあります。(その表が載っていたのは、この本です。)
- 作者: デニスプレガー,ジョーゼフテルシュキン,Dennis Prager,Loseph Telushkin,松宮克昌
- 出版社/メーカー: ミルトス
- 発売日: 1999/11
- メディア: 単行本
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ユダヤ人はダビデの星をつけねばならないこと、公職につくことを禁止すること、ユダヤ関係の書物を焚書すること、ユダヤ人学生の学位取得を禁止したこと、カトリックのお祝い日にユダヤ人が外出してはならないこと…。十字軍は出発する際、まず身近な「神の敵」であるユダヤ人を血祭りに上げるべくユダヤ人居住区を襲ってから、中東を目指したそうです。
マルティン・ルターは、『ユダヤ人と彼らの虚偽について』を書いて、シナゴーグを焼き払い、ユダヤ人の住居を破壊して、キリスト教徒の住む地域からユダヤ人を追い出すよう主張しました。ニュルンベルク裁判で被告となったナチス指導者の一人が、もし自分が裁かれるのなら、ルターもこの被告席に座るはずだと言ったのも的外れではないということでしょうか。こうしたことが直接ではないにせよ、間接的にはナチスのホロコーストを生んだこと、ナチスは決してヨーロッパの鬼子ではないこと。
キリストを曲がりなりにも信じている者としては、やりたくない宿題を課されている気分です。(日本人として日本の過去をどう見るか、受け止めるかという問題だけでも、しんどかったりするのに、もう一つ宿題が〜という気分になる時がたまにあります(>_<)うー。いや、別に考えなくてはいけないわけではないんでしょうけど…。)
で、ここから話題をヨーロッパからアメリカ合衆国に移して、アメリカが第二次世界大戦中に日系アメリカ人を収容所に入れたことについて、私が昔から関心があって…という話を書こうかと思ったのですが、頭がくたびれているので、また別の機会にしますわ。(おいおい)
えーと、なぜ関心があったかというと、戦前にアメリカへ移民した私の父方の親類が、大戦中収容所に入れられて苦労し、戦後に釈放された後も、財産を全て失っていたのでまた大変な苦労をしたのだという話を、子供の頃、何度か父から聞いていたからです。自分につながっている人がそういう目にあったとなると、やはり他人事と思えない。アメリカに住んだ際に、体験者に会って話を伺ったり、関連の本を読んだりしました。収容所の跡地も行きたかったんですが、どこも自動車でないと絶対に行けない不便なところにあるため、車の運転が出来ない私は、涙をのみました。(ちなみに、アメリカでは車の運転が出来ないということは、日本での自転車に乗れませんと同じようなことだということを身をもって知りました。人間なら誰でも運転すると思ってますね、あの人たち。)
はるる