「神父もの」

 本日、目白にある東京カテドラルでの叙階式に出席してきました。私にとっては、久し振りの叙階式出席です。神父さんが誕生する瞬間に立ち会うというのはいつも感動的なものですが、今回は若い神父が3人一緒だったので、なおさら心動かされるものがありました。

 というところで、強引に本の話にもっていっちゃいますが、神父ものというと、すぐ思い浮かぶのは『田舎司祭の日記』です。苦しみの中で主人公の神父さんが息を引き取る前、「全ては恩寵だ」と言ったそうだという伝聞で最後終わる話だったと思うのですが、昔、この部分を読んで、感動で目がうるうるしたことを思い出しました。

田舎司祭の日記

田舎司祭の日記

 あと、ジャック・ヒギンズの『死にゆく者への祈り』でしょうか。この本に出てくる神父さんはかっこよかったですねえ。(相変わらず、人の名を覚えていない(^^ゞ)
 最後に主人公(これも名前を忘れている。はるか若き頃に読んだもんで)が爆破されて瓦礫の山と化した教会の中、崩れた十字架の下で瀕死状態にあるところに、警察の制止を振り切って主人公のもとにやってきた神父さんが、「さあ、私の後についてこの祈りを唱えなさい、父よ、私の魂をあなたに委ね…」(この辺りの言葉は正確ではないと思います)と言うと、もとIRAの殺し屋だかテロリストだった(と思うんだけど)主人公は「父よ…」と言って絶命してしまうんです。この「父よ…」と言って、息を引き取るラストで一人ほろほろと泣いた遠い記憶があります。
 この神父は、主人公が最後の仕事として請け負ったある殺人(墓地で人を射殺する)のを偶然目撃してしまうのですが、彼が警察に駆け込む前に、主人公が先手を打って、彼のもとに「私は人を殺しました」と告白に来てしまうので、守秘義務を負う神父は警察に行けなくなる…。というのが、この小説の出だしでした、確か。
 なぜ、神父が告白を聴いてすぐ気付かないかというと、顔の見えない昔ながらの告解部屋で告白されたため、赦しを与える前、相手が犯人と気付かなかったわけですね。(だったと思うんですが、あれ?確か、これは映画『わたしは告白する』と同じパターンと思った記憶があるので、そんな感じだったと思います。毎度ながら、思い出話をすると、いかに自分の記憶があやふやか分かりますね。)

 しかし、世に出回る神父もの(なんてジャンルがあるわけではないでしょうが)の大半は、神父に冷たいというのか、冷徹に現実を描いているというのか、本の中で、大抵、神父は何か問題を抱えているか、問題を起こす。
 一時期、神父、修道女が出てくるミステリをずっと読んでいた頃があって、有名な修道士カドフェルシリーズとかブラウン神父シリーズとか読んでました。こういうシリーズの神父、修道士はまあいいとして、他のミステリに出てくる神父、修道士、修道女は大抵、ろくでもない。修道女は大体において、被害者になる確率が高く、殺される役回りが多いなあと言う印象が残っています。強烈に今でも覚えているのは、『九本指の死体』という話。修道女が殺されては、終生誓願を立てた証としての指輪を指ごと切り取られて犯人に持っていかれてしまうという話でした。犯人の精神が異様にゆがんでいて、それを上手く書いていたので、記憶に残っているのだと思います。
 一方、神父はたまに被害者になるけれども、大方は、加害者になるか、事件発生の動機を作ってしまうかという役回りだったという印象があります。神父が抱えている問題も、同性愛とか小児性愛とか、はたまたマフィアと結託して麻薬取引(この場合は、司教だった)とか、そういうのが多かった気がします。

 何だか、最初のめでたい叙階式から、えらく違う方向に来てる気がしますが、ここまできたから、もう一冊だけ、言及させてもらうと、上に書いたような問題ありの神父たち(司教含む)がわさわさ出てくるミステリ群の中で、私が今でもくっきりとストーリーを覚えているのが(人の名は当然忘れているが)、『災いを秘めた酒』という話なのです。

災いを秘めた酒 (創元推理文庫)

災いを秘めた酒 (創元推理文庫)

 これは、カトリックの話ではなく、英国国教会の話でして、主人公は探偵で、彼のもと恋人は国教会の司祭をやっているけど、結婚している。この度、司祭はめでたく主教になることになったが、彼のある暗い過去を指摘して、主教叙階を辞退せよという脅迫文が突如舞い込んだため、その差出人を探し出して欲しいと、もと恋人に依頼して…というのが話の発端。この主教予定の司祭の過去とは、神学生時代にある少年を誘惑した挙句、叙階前に棄てて、棄てられた少年は自殺してしまったという、思わず、あんたねえ、と言ってしまいたくなるような罪です。
 そして、このミステリの謎は、このことを知っているのは、司祭と自殺した少年と、このことについて神学生時代の司祭が、罪の告白をした相手の主教しかいないが、その主教も既に死んでいる、となると、一体だれが、この秘密をどうやって知ったのか、という点にあるわけです。
 しかし、私はこの本を読んでいる間、司祭の奥さん(国教会だから、結婚可)に感情移入し、探偵にやってきた男性が、自分の夫のもと恋人だと知って、衝撃のあまり、家出して女子修道院に駆け込んでしまうくだりなど、そりゃそうだ!と完全に肩入れしてしまった記憶があります。(これも10年以上前に読んだものなので、違っているところがあるかも知れませんが。)
 
 ただ、最近は司祭の同性愛問題について、特に、アメリカの子どもへの神父による性的虐待問題とアングリカンのロビンソン主教叙階問題を通じて、いろいろこの本を読んだ頃とは違う考え方をするようにもなったので、もう一度、この本は今の時点で読み直してみてもいいかなあと思っています。
 長いので、今日はもう、この辺で。

 はるる