印受比細以

 ここ数日、必要あって、江戸期の日本人が得ていた西洋情報に関する本を集中的に読んでいますが、その中で、ほほうと思った話を一つ。
 それは、1847年、高野長英プロイセンの軍人ブライトンの著作『三兵答古知幾(たくちき)』(「たくちき」とはTaktiek、つまり「戦術」のこと)のオランダ語版を日本語に翻訳した際、個人という言葉に出会って、その言葉をどう訳したかという話です。その本によりますと。
 ブライトンの原文にある、「軍隊の一番単純な構成要素は、個人(Individu)である。」(要するに、軍隊の最小の基本構成要素は、兵士だということ)という一文が、和訳では、

「諸軍ヲ製造スル基本ハ印受比細以(インジュヒジイ)―学科の雅言にして、一体一形分つ可からさる元行を云、(以下略)―ニシテ、即チ兵士是ナリ。」

 となっているそうです。(すごい当て字だ!)
 日本社会には個人という概念がなかったので、それにあたる言葉も日本語の中にはなく、高野長英は、ラテン語の原義に従って、「一体一形分つ可からさる元行」という注をつけねばならなかったわけですが、果たして、この注を読んで何のことか理解できた日本人はいたのでしょうか?私は、分からんぞ!
 ちなみに、この話が載っていた本と言うのは、『青い目に映った日本人』という本です。

 阿部謹也先生の本に、西洋だって12世紀までは日本と同じような心性で、個の概念などなかったのが、そこからどんどん変わってしまったということが書いてありましたが、かつてそれらを読んだとき、なぜ変化したかという肝心の部分を私自身が把握できなかったらしくて、今思い出そうとしても、どういうことで西洋の心性が決定的に変化してしまったのかが思い出せません。というわけで、どこかで『西洋中世の愛と人格』などをきちんと読み直さないとなー。ついでに、『「世間」とは何か』を始めとする世間論関連の本も読み直さないといけないでしょうねえ。日本社会について考えようと思ったら。
 『「ただ一人」生きる思想』も先日入手しましたが、これも課題図書になっています。
 こうして、積読が増えていくのね…ううう。

「世間」とは何か (講談社現代新書)

「世間」とは何か (講談社現代新書)

はるる