俳句と時代と

 桜の盛りは短くて、先週、瞬く間に満開になったと思ったら、昨日の強風でどんどん散り始め、今日の雨でトドメを刺されました。家の近所に桜の名所があるので、私は毎日桜を堪能できて、嬉しかったです。
 昨日、桜吹雪の中を歩いたので、唐突に好きな俳句を一つご紹介。
 「空をゆく一かたまりの花吹雪」(高野素十)
 私は俳句王国愛媛出身で、祖母が俳句を作る人で、小、中学校時代に学校で無理やり俳句を作らされた経験もありますが(愛媛県人なら、誰でもあるのでは?)、実はずっと俳句に対して苦手感がありました。俳句は分かりづらい。和歌、短歌のほうがピンとくる。俳句は理で、和歌・短歌は情。そう思ってきました。
 小林恭二の『俳句という空間』だったか『俳句という遊び』だったかに、俳句はそもそも男性の文芸だが、最近女性が俳句を作るようになって、俳句が変質してくるだろう云々といったことが書いてあった(記憶で書いているので、不正確と思います)のを読んで、そうだったのかと何か腑に落ちるものがありました。そのせいか、はたまた年齢のせいか、最近はちょっと俳句も読もうかな〜という気になり、ぼちぼち読んでいます。私の生まれ故郷、宇和島の出身で、たった26歳で亡くなってしまった芝不器男(しばふきお)の、
 「あなたなる夜雨(よさめ)の葛のあなたかな」
とか、絶唱と言う感じで大好きです。これを繰り返し唱えていると、心の底からしみじみします。

 と、俳句でシミジミリ〜とする一方、先日読んだのが、これ。

私たちはどのような時代に生きているのか

私たちはどのような時代に生きているのか

 これは、1999年に辺見氏と高橋氏の間で行われた対談を収録したものですが、これを読んで、今、日本政府がしていることは、1999年の段階で予見できたことだったんだなあと己の不明を恥じました。99年といえば、「周辺事態法」を始めとするガイドライン関連法、および「盗聴法」「国旗・国家法」「改正住民基本台帳法」が成立した年で、ガイドラインとその関連法は、はっきり対米軍事協力を言っているわけで、これがあるなら、そりゃ、70%以上の国民が反対してようが、イラク自衛隊送るわな〜とすごーく政府の動きに納得がいきました。あるいは、戦争反対のビラを配って問題になるのも、ここからきているのだということも、やっと分かりました。
 今頃こんなことに驚いている私に、なんというレベルの低さかと、これを読んでいる人はあきれるでしょうが、私はそういう人間なのであります。
 今、改憲の動きもどんどん強くなっていて、国民投票のやり方も9条を変えられるように巧妙に仕組まれているらしいですが、こういう事態になる前に、つまり90年代に、もっとはっきりと抵抗しておくべきだったんだなあと、自分の呑気さ、政治への関心の低さを今更ながら、悔やんでます。
 こんな風になし崩し的に、いろんなものが変えられて、仕方ないか〜と受け入れていってていいのか?という疑問を遅ればせながら抱いています。自分にとって決定的だったのは、4月29日の「みどりの日」が「昭和の日」という名前になるというニュースでした。さして大きな扱いではなかったと思いますが、しかし、こういう小さなことを放置しておくと、まずいんでないかい?という気がします。
 4月7日付けの「朝日新聞」夕刊に、ノーマ・フィールドが小林多喜二をテーマにした記録映画について書いています。その中で彼女は

日本もアメリカもここ二、三年、速度を増してひどくなっていると感じるのはわたしだけではないはず。なによりも不思議なのは、そう認識していても―例えば、私はイラク戦争を支持している人を一人として知らない―何もしようとしない、ということ。何をしても世は変わらない、という雰囲気が蔓延して、実に心地悪い。それに比して、多喜二や他のプロレタリア文化運動家たちは20年代、30年代の社会の不正と侵略戦争体制に真っ向から物書き、音楽家、絵描き、として闘ったのである。理念を掲げることを恐れなかったし、ましてや冷笑しなかった。

と述べました。
 私たちは「何もしようとしない」。彼らは「理念を掲げることを恐れなかったし、ましてや冷笑しなかった」。闘っても、結局、多喜二たちは戦争を止められたわけでも、日本の動きを変えられたわけでもなかったじゃないか、と言うのは簡単だけど、動ける時に動いておきたい、そうでなければ、私の祖父の世代を、あるいは戦前の教会を批判して「反省」したことにならない。村上春樹じゃないけれど、これからはコミットメントしないとまずいかも〜と思っています。ま、反省だけなら猿でも出来る。私はいつも反省するだけだからなあ。

 今、フランス語の勉強として読んでいる Le Petit Princeの中の一文が、ずっと頭に残っています。

Les baobabs, avant de grandir, ca commence par etre petit.

※セディーユやアクサン・シルコンフレックス(私は勝手に「帽子」と呼んでます)は文字化けするかもしれないので、省いてます、悪しからず。

 バオバブも大きくなる前は、小さかった。今、バオバブはどれ位、育ってしまったんでしょうか。ううう。

はるる