雑記

 今日は、歌舞伎座の五月大歌舞伎のチケット発売日。なので、チケットを獲得すべく、午前中、チケットホン松竹に電話をかける。が、かけてもかけても、答えてくれるのは、KDDIで、「ただいま、大変電話が込み合っております、後ほどおかけ直し下さい」という非情なアナウンスが流れるばかり。
 そうこうしているうちに、うう、仕事にいかねばならぬ。
 仕事中は電話かけられないからな〜、5時以降でもまだチケットあるかしらん、と一抹の不安を抱えつつ、家を出る。
 5時過ぎ、ダッシュで帰宅して、再び電話。おお、すぐにつながるではないですか!どこでもいいから、席よ、残っていてくれ!!
 しかし。電話口に出てくれたお姉さんは、気の毒そうに、もうチケットは完売し、1枚も残っていないと私に告げたのであった。がっくり。 
 そうだっ、チケットぴあ!と思ったが、インターネットで調べたら、やはりこちらも完売でした。がーん。
 というわけで、しばらくの間、私は全身脱力状態。何をする気にもなれず、呆然とパソコンの前に座りこんでおりました。
 後は、もう、3〜4時間前から並ぶ覚悟で、幕見しかない…。せめて、「野田版伽辰の討たれ」が見たい〜。玉三郎の鷺娘はあきらめよう、一度見たことあるし。と、ただ今現在、私は自分に言い聞かせております。

 というところで、気を取りなおして、今日読んだ、The New York Timesの記事について書きます。記事の題名は、A Papal legacy: Evangelized yourthで、いわゆるJPⅡ世代についてです。これを読んで、私は初めて知ったのですが、ヨハネ・パウロ二世世代に、私は入っていないんですねー。この世代に属するためには、1982年以降に生まれていないといけないのです。1965年という大昔に生まれている私は、ポスト第ニヴァチカン公会議世代というのに、属するらしい。ふーん。(ちなみに、私が属しているこの世代は、1961年から1981年の間に生まれた人々が分類されています。)
 さて、記事によると、JPⅡ世代の特徴は、神学的には保守で、また、父の世代を飛び越して、祖父の世代の信心業などに引かれて、そういう宗教実践をしたがる(聖体顕示とか)一方で、社会正義に対しても心を開き、貧しい人々に奉仕するといった実践をするというものです。ワールド・ユース・ディに参加した同じ人がスープキッチンでせっせとボランティアしているという、そういう構図が当たり前なのが、この世代とか。
 個人的には、大変興味深い記事でした。勉強になるな〜。

 そういえば、先日読んだ記事によると、ヨハネ・パウロ二世をすぐに列聖するようにという圧力が、強くヴァチカンの枢機卿団にかかっているそうです。天国の教皇のとりなしによって奇跡的に治癒した人がヴァチカンに呼ばれて、枢機卿たちがその人に会ったというようなことが、確か書いてあったと思います。どうなりますかね、この問題。

 はるる