マザー・テレサ

 昨夜、経団連会館で、8月にシネマシャンテで「感動のロードショー!」される予定の映画、『マザー・テレサ』の先行上映を見てきました。無料で見られる一種の招待券をいただきましたので。経団連会館なんて、これが足を踏み入れる私の一生において最初で最後の機会でありましょう。
 経団連マザー・テレサ。なんか、究極のミスマッチって感じですが…。(^_^;)

 えーと、映画自体は、主演のオリビア・ハッセーが20年以上も演じたいと考えていたというだけあって、迫真、渾身の演技でしたし、脇役の方々もそれぞれ良くて、お勧めできる映画だと思いました。(個人的には、マザーテレサもよいのですが、生涯、マザーを支え続けたエクセム神父さんが一番好きかな。こういう、光が当たるヒーロー・ヒロインを地味に支える役回りというのが好きなので。)

 マザー・テレサの50年以上の人生を約2時間にまとめる関係で、少々出来すぎの話が続くという印象なるのは否めないですが、これはしょうがないでしょう。
 例えば、カーリー女神寺院(実際はカーリー女神の寺院の隣の巡礼者用宿泊施設だったのが、映画ではよりドラマチックに寺院にしていたと思います)を「死を待つ人の家」として買った時、周辺住民から猛反対を受け、一人の男からナイフを突きつけられて脅されて、まさにピーンチ!の時、昔、大怪我をして足を切断されかかったところを、マザーが足を切ってはだめと反対して救われた少年が成長して立派になった姿で登場。彼が現れたことで、反対者は去ってしまうとか。
 あるいは、教皇庁からハンセン病患者のための村を建設するための認可を獲得しようと、マザーテレサの一行(三人)がカルカッタからローマまでのチケットを手に入れる場面。値引きを交渉し、ついでスチュワーデスをするからもっと安くならないかと交渉するも「申し訳ありませんが」と拒まれて、すごすごと引き上げようとするまさにその時!かつて1948年頃、初めてマザーがロレット会を離れて路上で青空教室を始めたときにそこで学んだ第一期生だというかつての子どもが、その航空会社のお偉いさんになって登場。ただで何度でも飛行機に乗れるパスというのをくれるとか。
 なんだか、子供向けヒーローものによくある、主人公絶体絶命の絶妙タイミングでヒーローが颯爽と登場するというパターンを連想してしまった私です。(不謹慎?)
 たぶん、どの話も結果的にはそういう出来事が実際に起こったのでしょうが、それを時間の関係で5分以内で全て起こったように見せざるを得ないから、こういう展開になるのであろうなあと思ったことでした。

 映画についてはこちらをどうぞ:http://www.motherteresa.jp

 映画の最初の方に、マザーが、駅で横たわって苦しむインド人男性がつぶやく「私は渇く」を聞いて深い衝撃を受けるというシーンがありましたが、これは多分、マザーテレサ霊性を明確に示すために入れたのでしょう。マザーテレサが自ら「神の愛の宣教者会」を創立する原点となったインスピレーションをどこでどのような内容で受けたかを書いた書簡を読むと、映画とは少々異なっていますから。(聖書を知らない人には、これがなぜ、こんなに衝撃的な言葉なのか、理解できないでしょうね。この映画はキリスト教の知識がないと本当に理解するのは難しいかも。ちなみに「私は渇く」はヨハネ福音書19章28節に出てくるイエスの十字架上での言葉です。)
 ちなみに、イエスの渇き、「私は渇く」が、マザーテレサ霊性と活動の根底を支える大変重要なみ言葉なのだということは、マザーの書簡集を読んで、初めて私は得心がいきました。

私は20代の頃、マザーテレサに関する本を懸命に読んでいた時期があり、その後もマザーテレサ関連本は割りと目を通していると思いますが、一番記憶に残っているのは、最初に日本語で出た、マルコム・マゲリッジの『マザーテレサ すばらしいことを神さまのために』であるように思います。

マザーテレサ              

マザーテレサ              

 もう、これは絶版かな。

 映画ではドキュメンタリーの『マザーテレサ 母なることの由来』にとても衝撃を受けたのを覚えています。

 マザーテレサも、マザーの修道名となったリジューのテレジアも、イエスを愛するということに全身全霊をあげた方々で、映画を見て、私もイエスを愛するのにテレジアに負けないぞと思っていたんだし、それを望んでいたんだよね、と自分の原点に立ち戻らされました、はい。

 はるる