地震をめぐる冒険

 本日の題は村上春樹の『羊をめぐる冒険』をもじってみたかっただけでして、かなり羊頭狗肉の観強しであります。

 今日、東京で4時35分頃、震度4(追記:震度5強だったそうです。ひええ)の地震があったわけですが、私はちょうど地震があった時、木場のイトーヨーカドーに入っている本屋さんで『通販生活』なんぞを立ち読みしておりました。(もう少し別のものを立ち読みしていたかったなあ。←こんなところで見栄張ってどーする。)

 つまり、出先でわりと大きな地震に遭遇したわけですね。で、私はこれまで震度4の地震を何度か体験してはいたものの、それを出先で、というのはなかったのです。おおっ、初体験!
 というわけで、これくらいの規模の地震になると交通機関が止まるのだという発想に欠けていた私は、それから20分ほどして、のこのこと東京メトロ東西線木場駅へ。
 すると。まず、冷房が止まっている。あれれ?でも、鈍感な私は、それが何を意味しているかが分からず、なんか、暑いな〜などと呑気なことを思いつつ、てけてけと改札口へ。
 と、改札口に人がわんさといる。
 ここで、鈍い私も、はた!と気がつきました。あ、地震で地下鉄が止まっているのか。
 
 しかし、最初、すぐ復旧するんだろうと軽く考えていた私は、駅員さんの動きやお客とのやりとりが面白かったので、ずっと見物してました。(この時点で、さっさと歩く方に頭を切り替えてれば、明るいうちに帰宅できたのだが。)
 電車が止まって40分くらいすると、警察官3名、駅に到着。こんな時、警察が来るとは知りませんでした。乗客がいらついて暴動を起こしたりしないように来るのかな?そんなことないか。

 で、そんなこんなしているうちに、一時間経過。もうそろそろ運転再開するのかと思っていた所に、まだあと一時間は再開しないでしょうとの駅員さんのご宣託が。
 バス以外の交通機関は全てストップ。
 バスでは家まで帰るのに埒があかない。
 …しょうがない。残る手段はただ一つ。歩くか。
 というわけで、歩きました。
 木場から、永代通りをどんどん西へ西へと歩き、皇居にぶつかったら、九段下方面にぐるっと皇居の周りを歩いて、市ヶ谷へ、というコース。大体一時間40分弱かかりましたよ。
 
 歩くと決めたら、わくわくしちゃいました。いうなればプチ冒険気分ですね。(どこが冒険なんだ!と我ながら思うけども。)
 まず、本屋に戻って『でか字まっぷ 東京23区』を買い、歩き出す前によーくよーく眺めて、無駄に歩かないよう頭の中で懸命にシュミレーション。なにせ、私、「地図が読めない女」なのです。地図をくるくる回さないと読めない。よーするに方向音痴。情けないけど、よく、自信をもって正反対の方向に歩いて無駄な体力を消耗してます。(『話を聞かない男 地図が読めない女』は身につまされたなあ)
 それなのに、人に道を尋ねるのは嫌いときたもんだ。(なぜか、どこにいっても他人から道を尋ねられるんですけどね。北京でもソウルでもパリでも、どこででも。そんなに自信に満ちて歩いているのだろうか、私。)
 
 とりあえず、今回は方角を間違えずにすみました。
 結構、多くの人が歩いてましたよ。時折通りすぎるバスはぎゅうぎゅう詰め。混んだ乗り物が苦手な私はくわばら、くわばらとただただ歩く。
 永代橋を渡りつつ、わーい、永代橋だ、ちょっと江戸時代の気分〜と一人で悦に入っていたら、橋の下をサンダーバード一号みたいな形の船(天上がガラスになっているので、中を見ると、乗っている方々は優雅にお食事なさってました)が通っていきました。ううむ。
 
 さて、私、てってこ、てってこと歩きながら、いくつかの本について思い出していました。
 最初は、何と言っても宮部みゆきの『平成お徒歩日記』。宮部さんが「心配するのをやめて真夏の炎天下に両国から高輪まで歩くことにした」そもそもの原因は、時代小説を書く際に不可欠な、江戸時代の「距離と時間」の感覚をつかむため、つまり、実際に○○から○○まで自分の足で歩いてどれ位時間がかかるかを分かるため、だったらしいですが、私も、実はそういうの、やってみたかったんですよね〜。木場から市ヶ谷まで、江戸時代の人も歩いたかなあなんて思いながら歩くと、心わくわく、うきうき。なんか、江戸時代の時間感覚を追体験している気分でありました。
 私、宮部さんに自信をもって木場―市ヶ谷間の時間はお答えできます!

平成お徒歩日記 (新潮文庫)

平成お徒歩日記 (新潮文庫)

 ついで、江戸と言えばこの人。杉浦日向子さんの『江戸アルキ帖』。

 

江戸アルキ帖 (新潮文庫)

江戸アルキ帖 (新潮文庫)

 これは、実際に歩いたのではなく、ヴァーチャルに江戸時代を歩くといいますか、タイムトラベルして、江戸時代のある時期の江戸の町を絵と文で見せるという趣向の本です。「嘉永5年7月27日(晴れ)東両国」「天保5年8月25日(霧雨)四谷」なんていう風に。

 そして、最後、いい加減歩きつかれた頃、靖国通りをてくてくと歩きつつ思い出されたのが、
田辺聖子さんの『姥ざかり花の旅笠』。

 これは、筑前の商家のお内儀四人(みんな50代)がお伊勢さんに善光寺参り、果ては日光まで(一種の関所破りして)五ヶ月かけて歩き回る旅の記録です。
 五ヶ月で八百里。一里=4キロとしても、3200キロ。ほ、本当か?いや、とにかく皆様、健脚です。
 姥ざかりの皆様に比べると、取るに足りない距離であっても、せっせと歩いていると、江戸時代は基本的にどこに行くにも歩いたという事実が、体にずしっと感じられます。そして、このペースで物事が動いていたとしたら、のんびりして、時間に追われるというストレスはあまりなかったかもね、それはそれで、この点は人間らしかったのかもなあと思ったのでありました。
 
 今回、線路を歩いて注意深く点検してくださる多くの方々が影で支えてくださっていあるから、呼吸する感覚で(別に何も考えずに)電車に乗っているんだなということを改めて感じさせていただきました。駅で待っている人々がたくさんいるが、しかし手抜きはできないというプレッシャーの中で仕事している人々がおられるんですね。以前のJRの事故の時同様、こんな時、はっとそういう縁の下の力持ち的役割の人々がおられるということに気付かされますです。

 いやはや、ここまで長い話をお読みくださった方、ありがとうございました。地震の影響を受けた全ての人が無事に帰宅されたかな?

 はるる