女性司祭その2

 ワインガーズ師の『女性はなぜ司祭になれないのか』の眼目の一つは、女性を司祭職から除外する伝統的議論の根源は、イエスからではなく、外部から、すなわち、反女性的偏見を持つローマ法から来ているという主張です。
 神父さんは、本来のキリスト教とは関係ない伝統がまぎれこんで巨大に成長してしまった現状況を「かっこうの卵」の比喩を使って説明しています。ローマ法というかっこうが、キリスト教という巣の中に卵を生んでしまったというわけですね。そして、教会の指導者たちは、自分よりも大きくなったかっこうにせっせと餌を運ぶ鳥さんよろしく、この偽伝統を立派な神学的理由をつけていまだに後生大事に守っている、と。
 ワインガーズ師は、キリスト教本来の伝統はそうではなかったということを、様々な史料や先行研究に基づきながら、懸命に示しています。
 この本によると、南イタリアで発見された5世紀の墓碑が女性司祭の存在を立証し、別の研究は女性司教の存在を指摘しているそうです。また、サクソン教区(ドイツ、イギリスなど)にも女性司祭がいた可能性があるとか。もっとも、これらは、一般的に女性の叙階が行われていた証拠というよりも、例外的なことであった可能性を示唆するようですが。
 また、9世紀にわたって女性助祭の伝統も続きました。しかし、これはその後圧殺されていきます。
 そして、中世に反女性的文化の重量が女性にのしかかってきた時、マグダラのマリアへの信心が盛んになった―絵画の中で、マリアは説教する者として描かれている―とあります。この辺り、どうなのでしょうね。
 中世真っ盛りの13世紀は女性の神秘家が続出した時代で、霊的面において、女性がかなり発言権を得た時代だったと思うのですが、こういうこととマグダラのマリア崇敬は関係しないのかしらん??
 確かに反女性文化が高まり、異常な女性嫌いの言説がはびこった時代でもありますが、それとマグダラのマリア崇敬を一直線に結びつけていいのかどうか、私にはよく分かりません。マリアを崇敬していたのは女性だけでなく、男性もしていたんでしょうし。

 ところで、この本で驚いたのは、司祭マリアへの信心という話でした。聖母マリアが燔祭を捧げる(犠牲を捧げる)司祭であるという信仰は初代教会から始まり、中世において詳細に論じられていた。この議論が急に消えてしまうのは、20世紀初頭である(第19章)。うーん、これは初耳。

 ともあれ、教会の中には、女性司祭職について別の伝統が細々とあり、そちらの方が教会本来の姿だという、この本の主張は嬉しかったです。キリスト教の本質は、人を差別するようなものではないと思ってますもので。

 女性司祭の禁止はカトリック共同体に深刻な打撃を与えている。なぜならすべての女性が神の娘として、キリストのメンバーとしてその尊厳を傷つけられているからである。(中略)この禁止は神の民の半分の価値を切り捨てることにより『神の交わりとすべての人々の一致』の秘跡としての教会を傷つける。(268p)

 というわけで、ベネディクト16世聖下、よろしくご検討のほどを。

 ところで、今読んでいる本の中の一冊は、フィオレンツァの『知恵なる神の開かれた家』です。ぼちぼち読んでいるので、読み終わるのは、いつになるやら。

知恵なる神の開かれた家

知恵なる神の開かれた家

 このところ、必要あって神学関係の本を続けて読み、自分はつくづく神学の頭ではないことを再確認しました。とほほ。
 そして、そのとほほ顔で私は、気晴らしに群ようこの『浮世道場』なんか読んだりしているのであった。やはり、人は己の「任」を考えねばならんよ、うん。

浮世道場

浮世道場

はるる