対談・ヴェイユ

心にとまった、新聞(2005年10月27日朝日新聞朝刊、ノーマ・フィールド・鷲田清一の対談)で読んだ文章をここにメモ。

 私が否定的に思うのは、80年代、90年代にアメリカの良心的知識人、研究者がつくり出したものは、結局、研究で終わっている。そして根底から物事を考えるようなものは、一切支援されなくなりつつある。
 大学でいうと、専門教育に入る前の学部の教育が重要だと思う。世界との行き来を考えること。教育の場で与えられた本や考えが自分のものになるには、社会的な場面で試されて、知識の形も変わっていくことが必要でしょう。教育も手仕事ですね。その結果として行動力が備わって欲しい。(ノーマ・フィールド)

鷲田「(「哲学カフェ」のルールは)他人の話を聞いて自分の話をコンパクトに話す。」
フィールド「それは秋田の大館で聞いた話に似ている。小林多喜二を読みながら冬を越すというグループです。誰々がこう言っていると言うと座が白けることがわかった。権威を排してみんなが自分の好奇心で発言し、自分の読みにも自信を持ち、ほかの人の読みにも関心を持つ。盛り上がっているんですって。」
鷲田「自分を開いていくんですね。(後略)」

「調停では、この人ともう話すことがない、絶対わかり合えない、と両者が絶望したときから理解は始まる。解決策はないと断念したところからしか、相手はどういう思いなのかっていう想像力は出てこない」(鷲田清一

 最近、私の中でまたヴェイユ熱がぶりかえし、ゆっくりヴェイユを読んでいるので、上記の部分がヴェイユのしていたことに地下水脈でつながる気がして。
 とか言ってますが、実は、富原真弓先生(すみません、富は上に点がない富です)が描き出すヴェイユの思想世界がとても私の腑に落ちるもので、ついそちらを繰り返し読み、まだまだ自分で生のヴェイユにぶつかっていません。
 ヴェイユ関連本の中では、富原先生(なんとなく先生をつけたい感じ)のこの二冊が好き。あ、清水書院から出ているのもコンパクトでいいです。思えば、あれでヴェイユにはまったんでした。

ヴェーユ (Century Books―人と思想)

ヴェーユ (Century Books―人と思想)

シモーヌ・ヴェイユ 力の寓話

シモーヌ・ヴェイユ 力の寓話

シモーヌ・ヴェイユ

シモーヌ・ヴェイユ

 ヴェイユ自身の『神を待ちのぞむ』や『重力と恩寵』はともかく、重要なロンドン文書とかは、読もうと思っては挫折(^_^;)。『根を持つこと』はすごーく興味あるんですが…(ため息)。
 今日も、ちょっぴり『シモーヌ・ヴェイユの哲学講義』を覘いておりました。

ヴェーユの哲学講義 (ちくま学芸文庫)

ヴェーユの哲学講義 (ちくま学芸文庫)

 そして、この本の「あとがき」に解説されているフランスのリセにおける哲学講義の理念に感動。上記の対談で語られていることとも通底する理念だと思いました。フランス、すごいかも。
 でも、肝心のヴェイユの語ったことを読むのは二の次になったかな〜。この解説をすぐに求める傾向、どうにかせねば。これは、ヴェイユがアランのもとで受けていた教育と真っ向から対立する姿勢なので、彼らから最悪と言われてしまうわ。

はるる