ある人の死
「気をつけて目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」(マルコ13:33」
昨日から待降節が始まり、福音書の朗読箇所は上記のものでした。
そして、この福音が読まれるミサに私があずかっている最中に、大事な仲間の一人が九州の教会で聖体拝領後に倒れたという連絡が入りました。
続いてすぐ、彼女は逝ってしまったという知らせが。本当に本当に驚きました。つい二週間前、上京してきた彼女と話をして、年末にはまた九州で会うはずだったのに。あんなに元気そうだったのに。なんだか信じられない気分が今もまだ続いています。でも、明日は彼女のお葬式。本当に神様の所に行ってしまったんだと実感がじんわりと湧いてきています。
「その時がいつなのか、あなたがたには分からない。」
「目を覚ましていなさい。」
こんなにこのイエス様の言葉が現実味を持って迫ってきたことはありません。
これらの言葉は真理なのだと感じています。(前後の文脈からいえば、イエス様は人はいつ死ぬか分からないということを話しておられるわけではないですけども。)
一期一会というのか、日々出会う一人ひとりを大切にして、また、神様に創造された私を大事にして一日一日しっかりと生きてゆきたい。いつも神様のみ旨を行う人でありたい。いつ自分が死ぬのか、その時を私は知らないのですから。
あの人は、今、天国で神様のもとで喜んでいるでしょう。
そして、これからは、私たちのために祈ってくれる。そう信じています。
日本と韓国の間に橋を架ける仕事をしていた人。その精神をいくばくかでも受け継げたらいいなと思っています。
はるる