グールド聴きつつ

 まだ忙しさが続いています。こんな時に、歯にかぶせていたものが取れてしまって、歯医者通いまでしなくてはならなくなり、ちょっと精神的に余裕がなくなってきている感じです。よろしくありませぬ。
 だからかどうか、忙しくなってきた11月頃から、妙にグレン・グールドのCDを体が求めて(?)、毎日聴いている、というのか、仕事しつつBGMとして流しています。(もっとも、本当に集中しだすと音楽は邪魔だからかけないけど。)
 11月は来る日も来る日も「ゴールトベルク変奏曲」(1981年)でした。
 1955年版は昔よく聴いていましたが、この夏に久しぶりに聴いたところ、あのテンポに体が拒絶反応を出したのです(我ながらびっくり!)。疲れていたからかも知れないですが。 亡くなる前の録音のほうが、今の私にはしっくりくるので、こればかり。
 それにしても、この録音、グールドが一音、一音、魂をこめて弾いている感じで、聴くたびに胸が震える思いがします。出だしからもう、感動。

 

Goldberg Variations

Goldberg Variations

 関係ないけど、村上春樹のどの小説だったかに、「ゴールドベルク変奏曲」をグールドが弾いているのと、バックハウスが弾いているのがあるけど、当然、グールドに決まっているという趣旨の会話があったと思うんですが、まだ20代だった私は、ここで「むむっ」となった記憶があります。
 当時の私はグールドにはまっていて、貧乏生活の中で少しずつグールドのCDを買うのが楽しみだったのですが、同時にバックハウスも大好きだったんですよ。いいと思うんだけどなあ、バックハウスのおじいちゃん。吉田秀和先生だって誉めておられるぞ(虎の威を借りてます。)

吉田秀和全集〈6〉ピアニストについて

吉田秀和全集〈6〉ピアニストについて

 なので、村上春樹さんの文章に、バックハウスなんて問題外、グールドがすばらしいに決まっているという含意を感じて悲しかったなあ(遠い目)。

 閑話休題。さて、12月に入ると、この間までバッハの「フーガの技法」と「イタリア協奏曲」を聴いていました。前者がオルガン、後者がピアノなんですが、BGMとして使っていて、(個人的に)おもしろいことに気がつきました。「イタリア協奏曲」になったとたん、体が喜ぶのです。そして、「イタリア協奏曲」だけ聴きたいと体が要求する。どうも、私の体さんはオルガンの音が重く感じられていやだったらしい。(そもそも、私がピアノ好きということもあるでしょうが。)そうか、そうか、と言いつつ面倒な時は最初のオルガンから聴いて自虐的な奴をやってました。

バッハ:フーガの技法

バッハ:フーガの技法

 ここで出しているのは、私が聴いているのとは違うんですが、写真があるということで。

 そして、今聴いているのは「平均律クラヴィーア集」です。

バッハ:平均律クラヴィーア曲集

バッハ:平均律クラヴィーア曲集

 私は本については、いわゆる「ジャケ買い」をしたことがないのですが、CDではあります。それも、グールドだった(^^;)。私としては、その写真のグールドはかっこいいと思っているんですが、他の人もそう思うかどうか??

 下のは、ジャケ買いしたものではなく、この手袋、グールドだわと思ったので。

 

Italian Concerto The Glenn Gould Edition

Italian Concerto The Glenn Gould Edition

 では、では。はるる