つぶつぶ

 病院に行ったら、あっさりただの風邪と判明。現金なもので、なんだか元気になってきて、仕事モードにギアが切り替わってせっせと仕事したりして。病は気からの典型みたいな人ですな、我ながら。

 妹から読んでみてと手渡された『雑穀つぶつぶ食で体を変える』を読みました。といっても読了したのは実は今日ではなく先週なので、いささか記憶が薄れてますが、ざっと感想を書いておきます。

 早い話が雑穀(ヒエ、アワ、キビをはじめ、タカキビ=コーリャン、ソバ、シコクビエ、ハト麦、大麦などなど)を食べましょうという本です。従来の雑穀のイメージが、栄養がないとか貧しいというマイナスのものが多いために、著者の方は新たに「つぶつぶ」という言い方をしていらっしゃるようです。
 雑穀がいかに栄養豊かであるかという話には、ほほうと興味そそられました。食べてみようかなという気になりましたもの。同時に、従来の白米を食べられず雑穀しか食べていなかった貧しい農民像には歪みがあったのかしらという、戦前の農民の食生活をどう捉えるか問題も私の中で浮上しました。簡単には結論出せる問題ではないですけど。
 この本は、食生活を切り口にして、スローフード運動にもつながるような、昨今の社会のあり方そのものを問いかける視点を含んでいるという印象はありますが、なにせ新書なので、その辺は微かに書かれている程度です。それがちょっと残念なので、大谷ゆみこさんの他の本を読んでみてもいいなと思いました。それと、体と対話、体が喜ぶという視点にも共感を覚えました。(これは、単に体に楽させるといった享楽的な意味合いではなく、深い意味で身体が真に喜ぶということなんですが、お分かりいただけるでしょうか?)

 でも、結構、この方とご家族の生き方は日本ではラディカルだなあと、ちょっと驚きました。わけても、私は教員一族出身で自分も先生稼業なんかしてたりするので、(本来なら小学校、中学校に行く年齢の)大谷さんちの子供たちが全く学校にいってないというのが、衝撃でした。私、やっぱり頭固いのかしら?(本の主旨とは全くずれたところで反応してます、はい。) 

 心と体の自立に必要なのは(中略)
一 何が食べ物か知っていること
二 いのちの仕組みを知っていること
三 いのちと食べ物のホントの関係を知っていること
四 自然界の仕組みとルールを知っていること(32p)

 ・・・私、何も知らないわ。自分で食料を作り出せなんて畑に放り出されたら、絶対生きていけない人だ。むむむ。
 唐突ですが、昔、幸田文の『流れる』を読んで、梨花のような人が本当に人生の知恵ある人なのでは、自分は単に知識を蓄えているだけで、知恵なんかない、ただのガキだとショックを受けた時のことを思い出してしまいました。

流れる

流れる

 ところで、この本の最後に載っているタカキビハンバーグとかヒエシチューといった「つぶつぶ」レシピに挑戦してみようと思ったのですが、結構手間がかかるみたいなので、ちょっとびびってます。い、いつかね。

はるる