くたびれモード

 今日は朝から異様な疲労感で起き上がれず、寝てばかりの一日でした。ふと気がつけば眼の下に隈が。おお、いつの間に黒熊ちゃんを二頭も飼育してしまったのだ、私は、とちょっと驚いてしまいました。
 昼食のとき、「外国語で生きているんだから、気をつけて何もしない日を作らないと駄目よ。体を大事にしなさい、休みなさい」とゲナーさんに言われ、うう、さすが外国体験の多い方は分かってらっしゃるとちょっと感動しました。異国にいると人の親切が身にしみます。
 というわけで、今日はだらだらぐてぐてうだうだとしてました。

 昨日、こちらでお勉強中の日本人二人と共に、Ste Trinite 教会でミサに出た後、Ste Marie Madeleine教会を見物に行きました。このギリシャ様式の教会、見た目が築地教会ではないですか。築地はこのマドレーヌ教会の小型版って感じです。もし、私の記憶が正しければ。これは、帰国後、築地教会を見に行かねば。うーむ、この二つの教会の関係はいかに?
 しかも、内部の祭壇の上のクーポラに描かれている絵はナポレオンはいるわ、ピオ7世はいるわで、何ですか、この政治臭芬々たる絵は!?
 で、日本人三人であだ、こーだと、互いに持っている19世紀フランスの教会事情・政治情勢に関する知識総動員で、憶測をたくましくして、いろいろ考えて話し合ったんですが。
 が、です。今日、あーもう何もする気しないなー、こういうときは本屋に行くか図書館に行くかすると私の場合は元気になるんだけど、外に出て行く元気はゼロだなあ、あ〜う〜とうだうだした挙句、滞在している場所の図書室に行って、あれこれ本と戯れておりましたところ、 Paris, son Eglise et ses eglisesなる本を発見しました。(著者はBernard Violle という人で、二巻本、Cerfから出版されたものです。)
 おお、これは!マドレーヌ教会のことが何か書いてあるのではないかい、とページをめくってみたら、ありました!
 それでもって、えっちらおっちら読解してみましたらば。
 昨日の我ら三人の憶測、大はずれだったことが判明したんですねー。ははは。(~_~;)
 憶測がはずれた原因の一つは、教会にあった、教会の歴史を説明した文章が正確さを欠いていたからだな、とViolleさんの本を解読してみて思いました。(言い訳。)

 この本が教えてくれた、マドレーヌ教会の歴史によると、もともとここには6世紀のメロウィング朝時代に村の教会があり、中世になると、マグダラの聖マリアに捧げられたました。それは、その手でイエスに触れた聖女に祈るためにエルサレムに巡礼に行くことができない人びとのためだったそうです。
 この古い教会は、ルイ15世の時代に、パリの西への拡張に伴って取り壊され、1639年に(追記:ルイ15世が1600年代ではないですね、考えてみれば。ミスプリントか、私の誤読か?)小教区の教会として新たに教会堂が建てられました。その絵が本に載っていたのですが、鐘楼のある普通の教会です。
 そして、現在私たちが見ているギリシャ風の建築物になるのは、ナポレオン一世のときで、それは、ナポレオンが軍隊の栄光を称えるために、ルイ15世時代の教会を取り壊して、la templeを建てさせようとしたからだったそうな。なるほどね〜。第一帝政時代か。グレコ・ローマン様式であるわけだわ。しかも、教会としてではなく、templeとしてだったんだ!
 その後、ナポレオンの失脚に伴い、1813年、この建物はカトリックのためのものと改められ(それで、教会になったというわけらしい)、1842年、ルイ・フィリップ時代に完成した、というわけでした。激動する時代の波をざぶざぶ受けた建物だったんですねー。いやはや。
 そして、内部装飾ですが、これは当時の「キリスト教の特質」le genie du christianismeをもろに表現しており、あまりにも勝利主義的で、あまりにもナショナリスティックなものだそうで、要は、18世紀の啓蒙主義の哲学の攻撃にも拘わらず、また、革命の迫害の後、見事にキリスト教は復活したぞということを表すものだ、と。
 祭壇上の例の絵ですが、階段をイエスのほうに上がっていくマグダラのマリア(主の足元で悔い改める罪人)は、啓蒙哲学とフランス革命の後、神に立ち戻った教会の象徴なんだそうです。はあ、なるほど。
 なお、そこには、コンスタンティヌス帝やジャンヌ・ダルク、ナポレオン一世、ピオ7世(コンコルダートに署名した人だから)などが描かれており、その下のモザイクはガリアのキリスト教化に関係した聖人が描かれている、そうです。
 そういえば、マグダラのマリアって、フランスに宣教に来たという伝説がありませんでしたっけ?マルセイユかどこかに来たとかなんとか。おぼろな記憶なので、間違っているかも知れませんが。どなたかご存知の方がおられましたら、ぜひとも、ご教示お願いします。

 マドレーヌ教会って、当時の教会の心性がものの見事に表現されている教会だったわけですね。これはもう一度見に行ったほうがよいかも。目下、私の課題の一つは、19世紀フランスのキリスト教を理解したい!でありますゆえ。

 Violleさんの本を覗いて、一人おおっそうだったのか!と感動した後は、日本語の本をだらだら読んで、今日一日終わった感じです。そういえば、オリンピックやっているんですよね。なんか、異国にいると、そちらに気がいかないなあ。
 といっても、一応、開会式は選手入場の後くらいからパパロッティが歌い終わるまでは見ました。
 開会式のショーなんですが、一緒に観ていたフランス人も中継のアナウンサーも”C'est magnifique!”の連発だったんですけど、私は一人、違和感を感じでました。なんというか、ああ、これはヨーロッパと日本は文明の根本が違うわという違和感。フランス人たちが感じて、共有しているらしき何かを、日本は共有していないという感覚。
 この間からこの感覚を言語化したいと折に触れ考えているんですが、未だに出来ないのが、情けない。とにかく、開会式の感想は?と訊かれたら、真っ先に出てくるのは、これですね。
 後は、絢爛豪華なショーで、人で作る平和の鳥もまあよかったんですが、しかし、空疎だなという印象が強くて、第一世界のお祭りだよね、要はと冷めて観てしまったなあ。例のマホメットカリカチュア問題で西洋のダブル・スタンダードが言われているときに、平和、平和で、イマジンを歌われても、何を勝手にいい気なことをなんて、思ってしまって…。疲れていたから、シニカルになっていたのかも。

 それでは、とりあえず、本日はここまでといたします。
 明日は復活できるといいな。

 はるる