フランス語の渦の中で

 怒涛のフランス語を前にして、よろよろしつつ生きております。
 英語で押し通そうという当初の目論見は、来て二日目には早くも崩れ(フランスで英語というのが、最初から無謀な計画だったのかも?)、下手なフランス語でサバイバルせねばならない羽目となりました。ま、一番大事な話はイギリス人と英語のできるフランス人としているからなんとかなっておりますが…。
 手渡される資料・書籍類は当然フランス語で、辞書を片手に必死で読んでいます。内容は結構面白いためどんどん読んでいきたくなるので助かってますが、ああ、これくらいまじめにこっちに来る前に日本でフランス語をやっていれば…(T_T)と思わないでもない。後悔先に立たずとはこのことですね。日々、あうあうと机を噛みしめる気分であります。
 なにせ、フランス語をぜーぜー読んでいる今の私の状況をピアノのお稽古に例えると、バイエル段階の腕前のくせに、いきなりリストの難曲を弾こうとしているような状態ですので、夕べには、ふらふらになっています。晩の食事もフランス語の会話の渦の中で食べますしねー。時には、もう何を話してんだか、理解しようという努力すら放棄してたりします。 
 きれぎれに分かる単語から内容を勝手に推測してたら、大はずれとか、ま、いろいろあります(ーー;)(←親切に時々英語に要約を訳してくれる方々がおられるので。とはいえ、たまには、英語は本当に知りませんという人たちのみと共に食事という恐ろしいシチュエーションもあり、そんなときはこっちも大変ですが、向こうも大変だよな〜と同情してしまいます。)とにかく、私のフランス語は話すほうもたどたどとだし、語彙はきわめて限られているしで、昨日言えなかった一つの文が今日言えただけで、周りのフランス人はトレ・ビアン!とほめそやしてくれ、気分はもう2歳児です。ま、ぎりぎりまで努力して、どうしようもなくなったら、英語でわーわー言うことにしておりますが。
 いやあ、ドラえもんの翻訳こんにゃくが真剣に欲しいです。(そういう名前のもの、なかったでしたっけ?)

 という具合に、フランス語で苦労しているくせに、どうせならとヴェイユの『重力と恩寵』の原書(La pesanteur et la grace)をぼちぼちと読んでいます。もちろん、横に日本語の訳書を置いて、です。
 簡潔で鋭利な刃物でスパッと切ったようなフランス語が、なんかいい感じ。(とか、偉そうに言ってみたりして)。

 Pourquoi est-ce que des qu'un etre humain temoigne qu'il a peu ou beaucoup besoin d'un autre, celui-ci s'eloigne? Pesanteur.

La purification est la separation du bien et de la convoitise.

 Quiconque prend l'epee perira par l'epee. Et quiconque ne prend pas l'epee (ou la lache) perira sur la croix.

Dieu traverse l'epaisseur du monde pour venir a nous.

la limite est le temoignage que Dieu nous aime.

※文字化け防止にアクサン・テギュなどは全て省いてますので、よろしく。

どうして、こんなにヴェイユは鋭利なのか。苛烈なのか。本当にすごいです。

Gravity and Grace

Gravity and Grace

 フランス語の本を出したかったんですが、見つけられなかったので、英語のものを。
 真剣にフランス語をやろうかなあ、と誘惑も感じますが…うっかりこの誘惑に乗ったら、後が怖い(~_~;)。語学の才能は神様からいただいてませんのでねえ。ふー。

 なんだか考えをまとめられなくて、パリにいる間、本の感想など書けるかどうか分かりません。フランス語に圧倒されているのかな?

はるる