『8月15日の日記』

 一昨日に引き続き、2時間寝たところでぱっちり夜中に目が覚め、以後眠れず。そのうち、新しい朝が来てしまってミサに出るために起きました。
 日本がさわやかな朝を迎えている時間、私の体内時計は夜中を指しているため、眠いのなんの。頭の中に霞がかかっているようですし、口や手が思うように動かなくて、変です。やれやれ。

 さて、夜中に眠ろうと努力したのですが、どうにも眠れないので『八月十五日の日記』を読み、とうとう読了してしまいました。
 こうしていろんな人の日記を集大成して眺めてみると、本当に面白い。当時の日本人にとっての天皇がどんなものであったかもおぼろながら分かり、現代との違いにふーむとあらためて唸りました。
例えば…

 天皇はどうなるか、御退位は必定と見られるが、或いはそれ以上のことも起こるかも知れない。新聞によると最後の御前会議で天皇は「朕は国が焦土と化することを思えば、たとえ朕の身は如何あろうとも顧みるところではない」と仰せられ、全閣僚が声をあげて慟哭したという。この御一言で、たとえ陛下に万一のことがあれば、連合国側がいかなる態度に出ようと、われわれは小なりとも「昭和神宮」を作る義務がある、と誰かがいった。(山田風太郎

 十四日午前十時四十五分、宮中に開かれた御前会議に於て、陛下は御親から御聖断を下し玉はれたのであるが、其光栄を洩れ承はるに――
  各閣僚は敵側の回答文に対しいろいろ意見もあらうが、朕は天皇主権を承諾してゐると 思ふから、皆もそのやうに解釈せよ
  朕の一身は如何にあらう共、これ以上国民が戦火に斃れることは忍び難い
  朕は祖宗に対し又国民に対し忍び難きを忍んで、かねての方針通りにすすみたい
  朕は世界の大局と各般の情勢を慎重に考慮した結果この断を下すのである。
と仰せられたといふのである。
 各員は此御言葉を拝しただ哭泣するのみ、民草を思ふ大御心の宏大さに嬉し泣のすすり声が暫らくつづいたと言ふのである。(小林一三

 心に深く止めよ。
 今日の妙なる玉音を。
 あれこそ、人間至高の心が、声帯の物質を通じてなされたる妙音、即ち真の道を示す天来の響きなのである。
 日本敗るるの時、この天子を戴いていたことは、なんたる幸福であつたらろうか。私は歴代の天皇の中で、この方ほど好もしきお人がらはないと信ずる。
 今上は皇太子の頃より、御渡欧映画その他で民衆に親しまれている。率直に言って、私はこのお方のファンなのである。歴代の天皇の中で、これほどヨキ人はなかつたに違いないと私は思う。(中略)
 今上は、所謂英雄ではなかった。武断的な方では勿論ない。が、”仁君”にわたらせられる。いともやさしく、うるわしきお人ガラのお方である。(徳川夢声

 玉音を拝す。勅語の数語を拝するうちに、「日本は大丈夫なり」の感を強くす。ここには神ながらの実に空前の音あり、敗戦悲観等のひびきなく、一切は黎民の愛育に発する大なる救ひあるのみ。日本は一切を失って一切を得たり、世界に冠絶する宗教国家、芸術国家として再生すべし、勇気を以て直ちに出発すべきなり。(亀井勝一郎

 この宗教的感情をどう考えるか。 

 ところで個人的に読み応えがあったのは、山田風太郎、長与善郎、徳川夢声、富塚清の各日記でした。分量もそれぞれ多く記述が詳しいので、生き生きと情景を思い浮かべることが出来、なかなか興味深かったですね。
 なかでも富塚さん(機械工学者、日本の航空エンジン研究の草創者)の日記に、最も共感しました。なんというか…底に健全な明るさ、明晰さがある。ユーモアがあるし。これはこういう難局にあってはとても大事なことと思います。

 (前略)「戦いを続けるなら、何も天皇陛下が放送なさるに及びません。そのままでいいですものね。だから前例を破って放送なさるからには、よほど変わったことがあるはずです」と文子もいう。まさに理屈はそのとおり。まずまちがいあるまい。(引用者注:玉音放送の内容が戦争をやめるだと富塚さんは判断し、家族と話している時についての記述。)
 麗子が自由学園から帰ってきた。(中略)「…だがね、おとうさん、これから当分、外に出ちゃだめよ。おとうさんは人の見さかいなく、思ったことをぺらぺらいってしまうからあぶなくて、仕方がない。皆こうふんしているんですからね。それが少しおさまるまで、じっとしててよ」 
「よしよし。ところで、文子、今日は赤飯をたこうじゃないか。もっとも、敗戦を祝ったなんていうと人聞きがわるいから、名目は月おくれのお盆ということにするさ。本心は生き残ったことのお祝いということだがね」
 文子も、もちろん大賛成。だが、赤飯よりぼた餅が手軽とあり、それにする。
 われわれにとっては、こんなのびやかな一日である。(後略)

 一番簡潔な日記は中勘助のたった一行、「戦争は終わった」。
 歌人俳人はやはり短歌、俳句で表現をしていましたが、胸に響いたのは、
「休戦の午後に戦死の兵一人楡の太樹の下べにて焼く」(高橋房男)
「あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ」(土岐善麿
「一本の鶏頭燃えて戦終る」(加藤楸邨)※鶏頭の「けい」の字は違うのですが、出ない。
「敵といふもの今は無し秋の月」(高浜虚子

などなどですかね。

 何はともあれ、非常に面白い本を読みました。
 さて、今夜はちゃんと眠れるかしらん?

 はるる