機械じかけの聖母

 ここ数日体調がいま一つで、何度もひっくり返りつつ、しかしあまり休んでもいられない〜と往生際悪くやるべきことをぼちぼちやっています。
 
 突然ですが、私、4月より仕事の関係で名古屋に引っ越すことになりました。と言っても、一種の単身赴任状態ですね。週末には東京に戻ってくる生活です。
 名古屋。自分の人生でよもやこの街に住む時があるとは夢想だにしませんでした。
 ただ今、せっせと本をダンボールに詰めております。
 それにしても、どうして、こんなに私は本を持っているのだろうか?ちょっと見直しが必要だわ。

 というわけなので、気持ち的には前回に引き続き、このまま『大元帥 昭和天皇』とか『拝啓マッカーサー元帥様』とか『マッカーサーの二千日』とかを読み直したいところですが、そんなことはもう許される状況ではないです。(どれもお勧め。)

大元帥・昭和天皇

大元帥・昭和天皇

マッカーサーの二千日 (中公文庫)

マッカーサーの二千日 (中公文庫)

 と分かっているのに、昨日、『乳の海』を一気読みしてしまいました。
 

乳の海 (朝日文芸文庫)

乳の海 (朝日文芸文庫)

 この本は、80年代、日本社会が若者に対して母性的超管理社会になったことを描いたノンフィクションです。
 そのすべてを呑み込むグレート・マザー的優しさ、柔らかさをもって、家庭では母親が、学校では教師が、コンサート会場では主催者が、子供、若者たちをゆっくりしめつけ、がんじがらめに管理し、赤ちゃんとして扱い、いわば骨抜きにしてしまう様とその実態を、「透」という大学生や80年代前半を象徴するアイコンとなった松田聖子から語っています。(延々と松田聖子について読んだおかげで、昨日から私の頭の中をぐるぐると松田聖子の歌が回っています。松田聖子には昔も今も興味が無いので、彼女の曲は一曲も覚えていないと思っていたのに、豈はからんやで、無意識に入っていたんですね。あ〜♪わたしの〜こ〜いはぁぁ♪。我ながらびっくり。)
 同じ80年代を学生として生きた私としては、これだけではないよと著者に反論したい気持ちもある反面、日本型管理の本質を上手くつかんでいるなと感心もしました。読んでいる間、気持ち悪かったですけどね。
 冒頭に、藤原さんがロンドンの骨董屋で見たという中世スペインで異教徒に対して使用されていたという、機械仕掛けの聖母マリア像について語るプロローグがついていて、これがこの本の内容を象徴しています。
 この聖母の両手は優しく広げられ、その膝に異教徒は座らされる。その腕は風力によって見えるか見えないかのスピードでゆっくりと閉じていく。それと同時に聖母マリアの背中から48本の鋭い鉄の棒もゆっくりと出てくる。何日もかけて。やがて48本の鋭い棘はマリアに抱かれている異教徒の体を突き刺し、その腕は彼らをきつくしめつけ、殺してしまう。
 このマリアの抱擁は 
  「死の抱擁」
と呼ばれていたそうです。
 そんな聖母像がとある教会の礼拝堂の地下に据えられていた。
 ちなみに、「狂気のマリア」と異教徒が呼んで恐れたこの聖母像を動かす風力は、地上の礼拝堂では風力オルガンを奏で、それは素晴らしい音楽を演奏したそうです。
 つまり、地上で荘厳にオルガンが聖歌を鳴らしているとき、地下では受刑者が断末魔の悲鳴をあげていたという、あまりの倒錯に吐き気を感じる光景がそこにあったわけですね。怖すぎる。
 しかもこのマリア像は、慈悲深くその腕で異教徒を硬く抱きしめ、彼らの骨を砕き、内臓を押しひしぎなら、その目から聖水の涙が出てくる仕掛けになっていて、あわれみ深く涙を流しつつ、抱き殺したとありました。ひええ。
 悪魔的。中世スペインの教会はこんなことしてたのか。…やりそうだなあ。トルケマダとかいたし。
 そこに座った異教徒は一人残らず絶命前に発狂したそうですが…。むべなるかな。

 藤原さんは、この聖母像を80年代日本を覆った母性的超管理社会の象徴としています。
 優しい母によってきつくきつく抱きしめられて(管理されて)絞め殺される日本の若者たち。彼らは死ぬ前(自己を喪失する前)、(いわば「発狂」して)その管理を喜んで受け入れるようになる。
 それに対する自己回復として90年代の若者が行き着いたのが、カルト宗教であったということらしいですが…。

 管理社会が母として登場するというのが日本的かな、と。河合隼雄さんなどがよく書かれているように、俗に日本は女性原理、母なるものが勝った社会だとされているので。
 それに対して、父なる神を抱く西洋の管理社会は『1984年』に象徴されるように、ビッグ・ブラザー、男性が監視しているわけですね。(いつのNewsweekだったか、9・11以後の管理社会化についての特集の題名がBig Brother Watchsだった。)

 愛媛県は管理教育で名を馳せ、私はその愛媛で教師の娘として徹底的にその管理に従順に生きていたので、藤原氏が書いていることは分かる気がします。 
 とすると、この理論でいくと、私の場合は自己回復の道としてカトリックに走ったってことになるのかな?

 はるる