ユダの福音書

いささか話題になっている『ユダの福音書』についてナショナルジオグラフィックのサイトで記事を読み、ブログAztecCabal(http://d.hatena.ne.jp/Gomadintime/20060409/p2)で『ユダの福音書』の英訳が提示されていたので、ざっと目を通してみました。
 その結果、ナグ・ハマディ文書に属する、これまでエイレナイオスの『異端反駁』で言及だけされて実物がなかった文書が出てきたという意味では学問的に大きな意味がありますが、キリスト教の根幹を揺るがすといった点においては、さしたる影響はないのではと私は理解しました。
 ユダは謎が多い人物なので、こういう逆転の見方を提示したくなるのは分かる気がするなあ。グノーシス思想からいけば、こういう見方が出てくるのは自然でしょうし。

 現在『新約聖書』に収められている27の文書が『新約聖書』になっていく過程というのはスリリングで、近現代では当然になってしまっていることが、古代のキリスト教史を見ると必ずしも当たり前でもなんでもなく、様々な論争を経て曖昧さを含みつつ今の形に収まったのだということが、すごーく新鮮です。キリスト教が出来ていくということがなんとも面白いと言いますか。
 それにしても、正統と異端の区別とかこれからもっと揺らいで教会は徹底的に自己を見つめなおさざるを得なくなるのかもしれません。

 てなことを思いつつ、『新版 総説新約聖書』の第十章「新約正典成立史」を読み、『ナグ・ハマディ文書1 救済神話』の「序にかえて」と「解説」を読みました。

総説新約聖書

総説新約聖書

ナグ・ハマディ文書〈1〉救済神話

ナグ・ハマディ文書〈1〉救済神話

 今日は聖木曜日。

 イエスは、この世から父のもとへ移る御自分のときが来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。(ヨハネ13:1)

 イエスが足を洗ってくださる。

 はるる