手強い!

 昨日、エリアーデの『聖と俗』(法政大学出版局、1969年)を猛スピードで読了。最初の部分を除いて完全に斜め読みで、本当に理解してるのか?と問われれば、かなり疑問なんですが、必要に迫られまして。お許しくだされ。(誰に謝っているのか?)
 こういう天才的な人の仕事って、人々がぼんやりと分かっていてるのだけれど、言語化できないことを見事に捉えて表現するという側面があるな〜と感じた一冊。
 
 「聖なるものは自ら顕れる」。この一文だけで私は心震えてしまいました。

 その後、とうとう『神の発明』(中沢新一)を読む。これもかなりのスピードで読んで、ちゃんと読んでいないという忸怩たる思いは拭えませんが、まあ今回はし方ありません。
 読んでまず思ったこと。
 この本は、一神教に対する最も手強い批判の書の一つではなかろうか。
 そんじょそこらの一神教は非寛容だが多神教は寛容などという類の言説とは完全にレベルが違う。内心、いささか動揺。
 以前、キャンベルの『神話の力』をテレビで見て、本を読んだときも、同じような揺さぶられ方をした記憶があります。私はどうも神話学的世界観と親和力が強くて、こういう方向から話を持ってこられると、揺さぶられるらしい。私は、心底一神教の人間ではないんだろうなあ、たぶん。…ということは、私は異端的キリスト教信徒なんだろうか?深くは考えまい…^^;。

 『神の発明』が最終的にあらゆる説明を脳の中の現象とつなげていることに対して、疑問があるのですが、しかし、シリーズの前三冊を読んでいないと、実際この本は理解できないことに気が付いたので、カイエ・ソバージュシリーズを読破してからまた改めて時間をかけて考えようと、宿題にしました。(ああ、宿題ばかりが増えてゆく…。夏休みが明日終わるのに何にも手をつけていなかった子供の心境になりそう。)
 
 

神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉 (講談社選書メチエ)

神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉 (講談社選書メチエ)

はるる