恐怖の読書体験

 今朝から体調不良。ちょっとメニエールの症状が出かかっています。
 よろしくありません。
 倒れてしまっては意味がないので、ぼちぼち行こうと自分に声をかけつつ出勤。

 『蛇』と『アマテラスの原風景』を読了。
 『アマテラス…』の中では、天照大神を太陽神とする定説は誤りで、大地母神と見るべきだという主張は興味深かったです。素人なので、この説が宗教学の世界でどのように受け取られているのか知りませんが、どうなんでしょう?
 あと、「イ」とか「チ」という一文字言葉に表現される原始宗教(神道になる前の段階)の世界に心動かされました。
 「イ」が「神聖なもの」をあらわす言葉で、「チ」は「神秘な霊力」であり、「イノチ」とは「神聖な霊力」を意味するというくだりは感動してしまいました。

 人間は「神聖な霊力」(イノチ)があるから生きている。(32p)

 こういう研究がどれくらい妥当性があるのか知りませんが…。

 他方、『蛇』のほうは、第一章が蛇の生態を扱っているため、もうドキドキの読書体験。蛇の写真が出てきたらどーしようと思って。最初の数ページにわたる口絵カラー写真のページの一ページ目が蛇の写真だということがちらりと見えたその姿からわかって以来、そのページを決して開かないように努力している私としては、本文中に写真が出てきたらどーすればいいんだ、文章読まなきゃいけないし、と鼓動が早くなってしまふ。
 しかし、読まねばならぬ。意を決して、蛇の写真が出てきたらという恐怖を胸に秘めつつ、栞代わりのカードをはさんでおいたページを開いたとたん、とぐろを巻いた蛇の写真を見た気がして思わず、本を取り落としてしまいました。が、それはカードの写真でした。しかも木彫りの聖母子像の。(大丈夫なのか、私。)
 怖い、怖いと思っていたので、なんでも蛇に見えたという、「幽霊の正体みたり枯れ尾花」の心理状態の私。たかが本を読むのに、なんでこんな怖い思いをしないといけないのでしょうか。寿命が確実に3日分は縮みましたよ。

 さて、気を取り直し心落ち着けて、蛇の脱皮の話から読み進んでいくと、蛇の交尾に関するところで19ページの写真にあるようにという一文が目に入る。ということは、19ページに蛇の写真が出てくるのね、要注意なのねと覚悟を決めつつ、ページをめくったら、いきなり19ページに行き着く前にバーンと蛇の写真が載っているではないですか!ひええ、ま、まだ心の準備があ!
 おもわず、本を放り出してしまいました。
 その後、再び気を取り直して本を拾い上げ、おそるおそる読み始めると、またまた19ページの手前で蛇が登場!頼むから予告してくれえ!
 というわけで、19ページにたどり着く頃には、逆に神経が慣れたのか、おっかなびっくりながら、6枚の蛇の写真をちらちらと見てしまいました。小さい写真だったから、まあなんとか耐えられたといえますが。

 その後も思いもかけぬところで蛇の絵が出てくるのに胸をどきつかせつつ、読了(絵はね、まだいいのよ、写真よりは耐えられます)。
 水準高き労作であることは充分わかりましたが、ちょっとなんでもかんでも蛇に結び付けすぎでは?という疑問も感じました。『アマテラス…』のほうにも、しめ縄を交尾する蛇を象ったもので、蛇=祖神という吉野さんの説を批判するくだりがあり、私も角林さんに賛成だなあ。素人なんでよく分かりませんけど。

 昨晩はざっと『中世の異端者たち』と『異端の歴史』に目を通し、『プラハの異端者たち』に手を伸ばす予定。フスは前から興味があったので、気合を入れて読みたいところです。

中世の異端者たち (世界史リブレット)

中世の異端者たち (世界史リブレット)

 では。はるる