私の読書道?

Ich muss noch arbeiten. Leider habe ich keine Zeit.

 というわけで、最近、ちょっとドイツ語をかじっております。なんと濁音の多い言語であるか、wの多い言語であるか、単語が長い言語であるかというのが第一印象。パラパラときらめく砂を撒き散らしたような印象のあるフランス語(yとかenとかpasとかceとかね)と異なり、重い!

 なんで、ドイツ語かというと、わけあって現在、ドイツ人、オーストリア人と一緒に住んでいるため、半分好奇心(よく食卓のときドイツ語で話し合う姿を見るので)。あとの半分は、仕事でいずれ必要になるやもと思うから。二ヶ月前までパリでBonjourと言っていたのに、今では名古屋でGuten Tagなんですから、人生何があるか分かりません。(皆様、日本語がお上手なので日本語で話してるんですけどね。)

 前にも取り上げた『気まぐれ古書店紀行』ですが、これを読んでいてへ〜と思ったこと。それは『二十歳の原点』と『されどわれらが日々』が映画化されていたということでした。(全く本の主旨とは外れてますけど。)映画化!ちょっと見てみたいかも〜。

二十歳の原点 (新潮文庫)

二十歳の原点 (新潮文庫)

されどわれらが日々 (文春文庫)

されどわれらが日々 (文春文庫)

※どっちも絶版でないことに驚いてしまった私。

 今ではこの二冊はたいして読まれないでしょうと思いますが、私は中学生のとき、『二十歳の原点』にはまり、高校生で『されど我らが日々―』を何度も読んだという、読書歴を持っているのであります。
 どっちも60年代から70年代の学生運動を背景にした本ですね。
 『二十歳…』のほうは、二十歳で自殺した高野悦子さんが遺した日記を出版したもので、『されど…』のほうは、小説でした。
 『二十歳の原点』は大学時代の日記でしたが、その後『二十歳の原点序章』(高校時代の日記)『二十歳の原点ノート』(中学時代の日記)も読みました。その頃、同年代の人の日記を読むことに興味があって、古本屋で『アルゴノート』というのも見つけて読んだ記憶があります。これも、17歳で自殺した女子高校生の日記でした、確か。ダーク・ボガートが好きな高校生で、いろんな本を読んでいて、結構読書傾向が似ていて親近感を抱いた記憶があります。
 その頃、自殺した人じゃないと10代の人の日記は出版されなくて(『アンネの日記』は別として。されていたのかも知れないけど、私は知らない)、それで見つけたものを読んでいたのですが、親は私が自殺を考えてるのかとちょっとびびっていたらしいです(後に親から直接聞いた。親不孝者でスミマセン。)

 『されどわれらが日々』は人が次々と自殺する陰鬱で、なんとなく女性蔑視で(女性が学問するのを見ていると無理をしているのでかわいそうになるいったことを言う東大の大学院生が出てきたはず)、いつも雨が降っている感じの話という印象しか残っていません。どこがそんなによかったのか今では自分でも謎ですが、あの頃は私も結構暗かったので、そういうマイナスな雰囲気に惹かれたのかも。(20数年前の記憶に基づいて書いてますので、今読んだらまた評価が変わるかも。)
 
 とにかく、あの全共闘というのは、謎です。『東大落城』とか読んでみましたが、うーん、これはやはり運動した側の視点から書かれたものもきちんと読まないといけないでしょうね。でも、なんだか肌が合わないのよねえ。

東大落城―安田講堂攻防七十二時間 (文春文庫)

東大落城―安田講堂攻防七十二時間 (文春文庫)

 
 話はコロリと変わりますが、WEB本の雑誌に「作家の読書道」というコーナーがあって、私はこれを楽しみに読んでいます。最近これは本になりましたね。
 

作家の読書道

作家の読書道

 いろんな作家の方が子供のときからの読書の思い出を様々に語って面白いのですが、なかでも舌を巻いたのは、糸山秋子氏でした(糸は二つ重ねのイトです。なぜか、出ません…)。
http://www.webdokusho.com/rensai/sakka/michi40.html

 糸山さんが子供の頃、年間500冊読んでいたというのも、凄かったですが、小学生で進化論に行ってしまうという知的な早熟さに、もう唖然。小学三年生で『ビーグル号航海記』や『種の起源』を読むって一体、どーいうお子様?

 思わず、自分の小学生時代を振り返ってしまいましたよ。本は小学校に入る前から読んでいたのは確かですが、何を読んできたのか、たいしたものは読んでいないなあとちょっと赤面。というより、手当たりしだい読んでいたので、何を読んでいたか、あまりちゃんと思い出せない。
 唯一、糸山秋子に対抗できそうなのは、小学四年生でアイリーン・パウアの『中世に生きる人々』を読んでいたことと、タイムライフ社が出していた『人間世界史』シリーズを読んでいた(といっても、本文は硬すぎて手が出ず、専ら図版とその説明部分を読んでいただけ)ことくらいでしょうか。
 『中世に生きる人々』は後半はともかく、前半はいろんな人の生活が活写されていて、とても面白くて前半だけは繰り返し読みました。いまでも、ボロっちくなった本を大事に持っています。(タイムライフのシリーズもね。)
 とはいえ、パウアを読んで私は中世ヨーロッパ史を志し、となれば素晴らしいのですが、全然そんなことにもならず今にいたっているのでねえ。う〜ん。まあいいけど。

 私は無名の一市民で、未来永劫、本の雑誌から「読書道」をインタヴューされる予定もないのに、「作家の読書道」を読んだ後はいつも、真剣に、私は子供の頃何読んでいたっけかと考えてしまいます。誰もインタヴューに来ないなら、自分でやってみようかしらと思ったりして。(別に誰も読みたくないって。)

 文芸書にあまり関心のない私ですが、糸山秋子さんは気になっています。『逃亡くそたわけ』に心ひかれるなあ。「くそたわけ」って名古屋弁なんですよね。舞台は九州で名古屋は関係ないみたいですが。

 名古屋が出てくる小説ってあまり思い出せない、そういえば。(そりゃ信長も秀吉も家康も出したお土地ですから、時代小説に必ずこの地方は出てきますけども。)
 曽野綾子の『太郎物語 大学編』くらいだなあ。

 

太郎物語: 大学編 (新潮文庫)

太郎物語: 大学編 (新潮文庫)

 はるる