平和と平等

 ちょっと根を詰めたら、てきめんに疲れが出て、よれよれ状態。
 昼寝の合間にちょびちょび読んだのが、『平和と平等をあきらめない』でした。
 

平和と平等をあきらめない

平和と平等をあきらめない

 哲学者の高橋哲哉さんとジャーナリストの斎藤貴男さんの対談本ですが、内容はとても濃いものです。
 教えられることの多い本です。(まだ読み終えてはいない。)

 ここに書かれていたことで私が驚いた内容をいくつか引用します。

高橋:この来栖(弘臣=元幕僚会議議長)氏が、最近の本(『日本国防軍を創設せよ』)のなかでこう言っています。「今でも自衛隊は国民の生命、財産を守るものだと誤解してる人が多い。政治家やマスコミも往々この言葉を使う。しかし国民の生命、身体、財産を守るのは警察の使命(警察法)であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない。自衛隊は「国の独立と平和を守る」(自衛隊法)のである。この場合の「国」とは、わが国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された国柄、天皇制を中心とする一体感を享有する民族、家族意識である。決して個々の国民を意味しない。(後略)  (126頁)

 私はもともと軍隊は自分たちを守ってくれないと考えてきた人間ですが、こうまではっきり軍関係者が本音を書いてたとは知りませんでした。
 日本国防軍って、何を守るのさ。煎じ詰めれば権力中枢だけじゃないの。と言いたくなります。
 絶対、日本の防衛のために軍隊がいるの、アメリカに守ってもらうのという言説は眉に唾つけて聞くべきだと思うなあ。(ところで、同盟軍がどんな目にあうか、についてもいつか読んだことを書きたいなと思っています。)
 

 高橋:(「教育基本法改正促進委員会」の)設立総会で、民主党西村真悟議員が立って述べたことがすごい。「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命を捧げた人があって、今ここに祖国があるということを子供たちに教える。これに尽きる。」「お国のために命を投げだすことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく」と。(251頁)

斎藤:2004年2月16日に護衛艦「むらさめ」が横須賀港から出航し、呉から出航した「おおすみ」と室蘭で合流してクウェートに向かいました。出陣式典にハマコーの息子・浜田靖一防衛庁副長官と中谷元玉沢徳一郎の二人の元長官が出席して挨拶した。(中略)玉沢徳一郎防衛庁長官が、「皇国の興廃、この一戦にあり」と言った。かつて日露戦争日本海海戦で、バルチック艦隊を迎えた東郷平八郎連合艦隊司令長官が打電した言葉です。
(中略)ところがそれを報じたのは毎日新聞の神奈川県版だけだった。しかも「玉沢」という名前は抜いて、一行だけちらっと、元防衛庁長官と。
 そういう発言は間違いなくあったと、自衛隊にも確認した事実です。ところが他紙はいっさい載せもしない。(255〜256頁)

 相手は本音をこんなに明らかにしているのに、何故国民は立ち上がらないのか?と私自身も立ち上がっていないくせに、むむむと怒りが湧き起こってきます。うーむ。

 高橋:創価学会などを別として、既成の仏教系宗派のほとんどが入っている全日本仏教会という最大の組織が、教育基本法の第九条の「改正」を推進している。教育基本法第九条では、「特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」けれども、宗教に対する寛容と宗教の社会生活における地位は教育上これを尊重しよう、となっています。
 ところがこれに対して、全日本仏教会は「日本の伝統文化の形成に寄与してきた宗教に関する基本的知識及び理解は、教育上これを重視しなければならない」に変えてほしいと運動しているのです。
(中略)
「日本の伝統文化に寄与した宗教」といえば、かつて仏教が神道といっしょになって国策に協力していった。浄土真宗などは朝鮮植民地支配の精神面での尖兵として働いた過去があります。いままた、頼まれもしないのに、神道といっしょになって国策に協力しようというのでしょうか。(223頁) 

 仏教ルネサンスどころの騒ぎではないではないですか!こんなふうに仏教復活を狙ってどーする!
 いや、それより我がキリスト教のことを考えなければ。
 国家にすりよってもろくな目にあわないことは、すでに戦前・戦中の経験で火を見るより明らかなんだから。

 というところで、本日はこれにて。

 はるる