うきうき

 もうすぐ5日間の休みになります。嬉しくて、ちょっと浮き足立っているかも。
 なにせ、世間が3連休やっている時に休日出勤を強いられた結果の振り替え休日に3連休がくっついての5連休です。嬉しくないはずがない。
 しかも、東京−名古屋往復でちょっと疲労が蓄積しているところに5日間お休み!わーい、わーい。と独りでに顔がほころぶのでありました。
 というわけで、ワタクシただ今現在、いささかうきうき気分でおります。

 そのせいかどうか、先日の往復新幹線では眠りもせずに『アメリカの原理主義』(河野博子)を読破し、『花火屋の大将』(丸谷才一)を少し読みました。
 

アメリカの原理主義 (集英社新書)

アメリカの原理主義 (集英社新書)

 『アメリカの原理主義』は現在のアメリカで起こっている現象に鋭く切り込んでおり、その内容と河野さんの真摯な姿勢は高く買うのですが、日本人知識人にまま見られる宗教音痴的感覚(は言い過ぎか)がちらちら見えて、そこが気になりましたね。
 宗教は分らない、避けてきたという感じのことを数箇所でちらっとご当人も書かれておりますけれど。
 本腰入れてキリスト教を勉強された上でこのルポがなされていたなら、なおさら素晴らしいものになったであろうに、ちょっぴり惜しいです。(今のままでも、読み応えは十分の良質の本なので、ないものねだりみたいなものですが。)

 内容そのものとは関係ないですけど、例えば、ベネディクト会の司祭のことを「カトリックのベネディクト派の僧侶」と書かれると、なんか本当のところは分っていないのではというあらぬ印象を持ちたくなる誘惑を感じました。(やな態度だね、我ながら。)
 瑕瑾とするほどのことでもないのでしょうがね…。
 

花火屋の大将 (文春文庫)

花火屋の大将 (文春文庫)

 丸谷さんのはいつもの通り、薀蓄に富んだ軽妙洒脱なエッセイで、読んでいて気持ちよくなります。丸谷氏のこの手の読み物は大好き。
 「影武者ナポレオン」という章で紹介されていた『ナポレオンの死』(シモン・レイス)を読みたくてたまらなくなりましたよ!
 どんな話か?
 セントヘレナ島に流されたナポレオンが影武者と入れ替わって島を脱出し、パリに潜伏。ところが、影武者は島で死んでしまう。
 本物はもう表に出て行けなくなったわけで、どーする、ナポレオン!というところで、彼はどうしたかを丸谷氏の紹介で続けます。(申し訳ありませんが、旧かな遣いを新仮名遣いに変えております。)

 ナポレオンはこの家(引用者注:熱烈なナポレオン崇拝者であった兵士の未亡人の家。未亡人は西瓜とメロンを売っているが、商売はうまくいっていない)に厄介になるうちに、西瓜とメロンの販売を指導…いや指揮するようになる。
 彼はパリの地図をテーブルの上にひろげて、地図をしばらく注視したあと、両手を後ろ手に組み、数分間部屋のなかを縦横に歩き回ってから、やがてついに、足元に転がっていた西瓜を勢いよく蹴とばすと、テーブルに直進して、一気に戦術の概略を述べる。
 ①天候
 ②戦場
 ③人的要因
 彼の作戦は図に当り、メロンと西瓜の売り上げは急上昇する。

 私は、こういう話に弱いのだ。いいわ、いいわ、西瓜販売の指揮をとるナポレオンを読みたーい!とこうなるのであった。
 図書館で探さなくちゃ!(でもいつ?)

ナポレオンの死 (海外文学セレクション)

ナポレオンの死 (海外文学セレクション)

 はっ。
 うきうきしている場合ではなかった。
 休みに突入する前に仕上げねばならない大きい仕事がまだ終わっていないのだ。や、やらねば。(八割がた終わっているんだけど。)

 『花火屋の大将』には私がひいきする大正天皇の歌も多く引用されているのですが、その話は次回にでも。

はるる