博多駅からの電話
前回名刺入れを失くした話を書きましたが、あれ見つかりました!
昨日の朝、職場に博多駅から電話がありまして。
「名刺入れ落とされませんでしたか?」
おお〜っ!
落とし場所は新幹線の中でありましたか!!
持ち主を一人置いて、はるばる博多までご出張あそばしてたのね。
(博多…私が行きたかったよ。)
着払いで送ってもらうことになり、一件落着。
あー、よかった!
ほっとしたら、無性に『きもの』が読みたくなって、昼休みに延々と読んでしまいました。
これは明らかに『着物あとさき』の影響ですね。
- 作者: 幸田文
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1996/11/29
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それにしても、『きもの』を読み返してみて、「着る」という行為に対する女の想いの深さ、凄さに改めて打たれました。
ロラン・バルト(『モードの体系』。もっともまともに読んだことなし^^;。難しそうなんだもん)や鷲田清一(『ちくはぐな身体』とか『モードの迷宮』とか読んだ記憶はあるけど、内容全然覚えてない…悲しすぎ)を読むより、私にとっては(あくまでも極私的には)幸田文を読むほうが、「着る」ということについて深く教えられ、姿勢を正されるなあ。
いかに自分がいい加減な気持ちで身につけるものを選んでいたか。
自分の中の、安いものを適当に買って簡単に着捨てようという根性を見出してどきりとする。
いい加減な気持ちだから、服の扱いも邪険。
かつて読んだ『すてきなあなたに』第2巻に収録されていた幸田文へのインタビューをまとめたものの中に、「着物を介抱する」という言葉が出てきたけれど、そういう気持ちをユニクロの服には持ちにくい。(すまん、ユニクロ。)
毎回『きもの』を読み返す度に、おばあさんに惚れ惚れして、このような人になりたいと念じ、るつ子の成長ぶりに感動し、彼らのせりふのあれこれや生活における叡智とでも呼びたいような日常の生き方を心に刻もうとするのですが、今回なぜか心にぐさりときたのは、るつ子のすぐ上の姉のみつ子の次の言葉でした。
(前略)売りものには花飾りだわ。きれいに飾って、さっと貰われて、さっとお嫁にいっちゃうのも、親孝行のうちなのよ。(中略)だからお姉さんがいなくなった今、私は飾らなくっちゃ。それなのにお母さんが寝ちゃったなんて―でもそれならそれで、自分でやるつもりだわ。ぼんやり着たい着物じゃないのよ。はっきり気の決ってる着物なのよ。(後略)」(150p)
「ぼんやり着たい着物じゃないのよ。はっきり気の決ってる着物なのよ。」
『着物あとさき』で、着物、というより布ととことん丁寧にどこまでもお付き合いできる世界を垣間見て、こんな風に一つ一つの服と付き合いたい、布地とつきあいたいと感じていたところに、おっかぶせるようにみつ子のせりふが入ってきたというところでしょうか。
着るという行為の性根をぐいとつかまれ、引き据えられたような気持ち。
私はいつも気が決まらないで服を選んでいたような気がします…。
でもまあ、いいや、のんびりいくのだ。
「がんばるわなんて言うなよ草の花」(坪内稔典)
「おとといの木は木のままで秋の暮」(同上)
はるる