おまけのおまけ

 もうRFKについて書かないはずだったのですが、いくつか本を読み返して、ちょっと記憶がごっちゃになっていたところがあったので、ちょっぴり訂正をば。

 ボビーをセレブで選挙に出た云々…と書いていたのは、In His Own Rightではなく、Robert F. Kennedyでした。

 ニューフィールドを読み返していると、ボビー自身が10代のとき、3年間神父になることを考えていたとありました。彼のナニーだけが思っていたわけではないのですね。

(3月8日追記)あと、3月3日のエントリーに、RFKが司法長官をやめた後、黒人のリーダーたちに厳しい言葉を浴びせられて云々ということを書きましたが、“Robert F Kennedy”を再読していたら、この出来事は、彼がまだ司法長官だったときの1963年に起こってました。RFKは黒人に関してあまりに急激に変化させるのはよくない、バランスをとって少しずつ、しかし確実に状況をいい方に変えようと考えており、自分はよくやっていると考えていたのに対し、黒人のリーダーたちは彼を手厳しく批判し、ボビーは彼らの言葉によってボコボコにされ、ショックのあまり集まりの後、しばらくものも言えないほどだったとか。しかし、この経験を通して、彼は変わったわけですね。
 リーダーたちの言葉による攻撃、非難はものすごかったらしくて、その日ボビーと一緒に会見に臨んでいた側近が、後に「自分がそれまで参加したことのあるどの集まりよりも、あれはトラウマテックなものだった」と感想を述べています。

 どーも、記憶がいい加減ですみません。


 他にも、彼は9人兄弟・姉妹の中で「負け犬」扱いを長いことされていたせいで、負け犬にされている人にすごく敏感だったとか、JFKが死んだ後、自分に対して一般の人びとが拍手したり、愛情を示したりするたびに、「これはジャックに対してなんだ、私に対してじゃないんだ」と言って、それをなかなか受け入れることが出来ず、人々は本当にロバート・フランシス・ケネディに対して信頼と愛情を寄せているのだということを受容できたのは死ぬ年だったとか、おお、結構悲しい人だったんだなーとしんみりしちゃいました。(声を出せない人の声となるために大統領になると決意して、やっと賞賛を受け入れる自信を持ったらしいです。なんかじーんときてしまいました。一面ではあんなに攻撃的な人だったのに。人間て複雑。)


 ところで、ニューフィールドとシュレジンがーの本を読み返してみて(全部じゃないですよ)、RFKは解放の神学を実践してるなあと思いました。ちょうど同じ頃ですね、グスタボ・グティエレスが『解放の神学』を出版したのは。確か、あの本が出たのは1968年。

解放の神学 (岩波モダンクラシックス)

解放の神学 (岩波モダンクラシックス)


 ボビーは言葉の人ではなく行動の人でしたから、神学を構築したりはできませんでしたが、彼の人生最後の数年間でやっていたこと、やろうとしていたことは、まさに解放の神学じゃないかというのが、再読しての感想。
 
 というわけで、そういった観点からもRFKについて考えていきたいと思っています。


 それまでアメリカを動かしていた人々の利益(ブッシュが守っているもの)ではなく、貧しい人々の利益代表の大統領になる(という主旨のことを)ボビーは言っていたので、たとえ彼が大統領になれたとしても、利益をめぐる攻防戦で議会が混乱して物事が進まず最低の大統領になる可能性があったという推測は、正しかったかも。


 仕事に関係する本をアマゾンに注文する際、勢いにのってつい、The Gospel According to RFKも注文してしまった…。

The Gospel According to RFK: Why It Matters Now

The Gospel According to RFK: Why It Matters Now

 なので、まだこれからも時々、RFKについて書くと思います。勝手に独り言を言ってます。はい。

はるる