言葉が成就する力
ついに来たぜ、ゴールデンウィーク!なのですが、私はこの連休の間にやらねばならぬ仕事が目白押し状態(T_T)。本番はこれからだという気分。
嗚呼・・・。
また東京に行かなければならないし。はあ。
In His Own Right ももう少しで終わりなのですが、なかなか読み終わりません。終わったら、またそれにかこつけて、RFKについて書こうと思っているんですけどねー。
・・・本にかこつけなくても、毎回のように書いているくせに。今回も結局RFKだ。(~_~;)
LOOK誌にロバート・ケネディが書いた文章や、司法長官時代に黒人に対して語ったことなどを読んで、彼がアイリッシュ系であったことの意味を考えているので、それについてもそのうち書いてみようと思っています。
とはいえ、考えを深めるための材料が不足しております。
早く届かないかなあ、The Gospel According to RFK。
もっとも、今届いても困るんだが。
ところで、karposさんが、ボビーが言うと本当にそうなるような感じというコメントを下さっていましたが、この点がね、私は前から不思議で。
よく、アメリカ人が“Bobby was REAL”と言っていますが、それには、この語る言葉が持つ力も当然含まれている(と思う。)
ブッシュ、プーチン、サルコジ、小泉・・・といった政治家の方々とRFKの間で何が違うのか。
真剣さの度合い?
自分の言葉に命を賭けている?
時々日本の政治家の演説などに見られるような、ただ力を込めて怒鳴っているというのとは違う、彼の演説にこもる力はどこからくるの?
その人が語る言葉の真実性、口先だけの言葉ではなく、嘘偽りでもなく、本当に成就するであろう、この人は正真正銘、本気なのだと感じさせる力って何によるのかしら?
結局、まさにその人が、自分が言っていることに対して、100%偽りなく本気で、心から語っていることによるのでしょうか。
私がいくら、本気をこめて(いるつもりで)語っても、私が発する言葉はRFKの言葉のようなパワーを帯びない。
それは、私の本気が足りないから?
というよりも、結局、私の言葉が口先だけに終わって、しっかりと地面に足がついていない、私という存在に根ざしていないということなのかも。
ボビーを見ていると、これのずーーーっと延長線上に、イエスが発する言葉には力があって、イエスが語るとそれが成就するというのがあるという気がします。
「あなたが信じているようになるように。」
「私は望む、清くなれ。」
そういうイエスの言葉に宿る力。
そして、この力あるイエスの言葉を聴いた人の喜びというか、本当にそうなる!という人々の確信の一片を、RFKの言葉を聴いていると想像できる感じがします。
イエスの言葉の背後にあるのは神の力で、もちろんRFKのは全然違うわけですが。
言葉の真実性。
発する言葉にこもる成就する力。
う〜ん。(もう少し悩むことにします。)
ところで、下のはヴァージニア工科大の犠牲者を追悼する意味をこめて作成されたビデオです。
流れる演説はRFKのOn the Mindless Menace of Violence。(映画『ボビー』で使用され、サントラ盤に入っているものを使っています。演説全部ではなく、一部を使用。)長さは約5分半です。
ほぼ40年前に語られた状況が、今も続いている。
こちらのビデオはRFKが語る文章が画面に出てきます。(ごくごく一部、言葉が抜け落ちておりますが。)
この演説の全文は下記へどうぞ↓。
http://www.rfkmemorial.org/lifevision/onthemindlessmenaceofviolence/
この演説も力あるんだなあと聞くたびに思います。魂から言葉が出てくるというか・・・。
結局そこかなあ。
自分の魂から語るかどうか。
・・・いや、それより前に、やらねばならないことをやらなければ。(逃避行動終わりー!)
はるる