絵に描いたような・・・

 ぽつぽつと『ベスト&ブライテスト』上巻を読んでます。(『国家は僕らをまもらない』と並行して読むと、政府への不信感は増大しますな。)

 

ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (朝日文庫)

ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (朝日文庫)

 これまで読んだところで、ケネディ政権に集った「超」の字が上につくような秀才たちの中でも強烈に印象に残っているのは、マクジョージ・バンディですね。

 なんというか、絵に描いたような秀才ぶりで、映画や小説の登場人物のような優秀さを示すエピソード満載。

 マック・バンディは1919年に生まれた。そしてアメリカ随一の予備学校グロートンに進んだ。(中略)グロートンのモットーは「奉仕することは支配することである」というものである。(←すごいモットーだなあ^^;。やだよ、こんな学校。)
 (中略)
 のちに彼が赴くところすべてでそうであったように、グロートンでもバンディは在校中から伝説的存在であった。ありとあらゆる成績優秀賞を獲得したことは言うまでもなく、正規のフットボール・チームの優秀なクォーターバックになることも、やろうと思えばできた。ただ運動部に入ると時間をとりすぎるので、同好会でフットボールを楽しんだのである。また、学生討論会というものがまだ注目されていたこの時代に、彼は素晴らしい討論選手であった。同校の卒業生の名を冠したフランクリン・D・ルーズベルト杯を三度も獲得している。(115〜116pp)

 グロートンの同期生ルイス・オーチンクロスによれば、バンディは13歳にしてグロートンの校長になっても不思議でないだけの力があった。同校の歴史の先生であったリチャード・アイアンズは、あの当時ですらバンディの書くエッセイは、使ったどの参考書より優れた内容で、読むたびに驚嘆したものだ、と語っている。(117p)

 グロートンから彼はエール大学に進んだ。・・・入学式の日、新入生は一堂に集められ、カレッジの学長から話を聞いた。本年度入学の諸君については、二つの刮目すべきことがある。・・・第二は、諸君の中に一人、エールはじまって以来初めて入学試験で満点の成績を収めたものがいる。学長の言っているのは、もちろんバンディのことである。そして、エールでも彼はほかに抜きん出て進級していった。(118p)

 エールを修了すると、彼はハーバードに行った。それも、宿題に喘いで四苦八苦する大学院生としてではなく、ジュニア・フェローという特別研究員としてである。フェローとは、選りすぐられたものの中からさらに選抜された人びとである。・・・バンディは博士号をもっていない。だれでも博士号をとることはできるが、だれもが、ハーバードのフェローになれるわけでないことは言うまでもない。(←ハイ、その通りでございます。) (120p)

 てな具合で、もう少女マンガにでも出てきそうな優秀な学生だったんですねー、このお人は。
 いやはや。本当にいるんですねえ、こういう頭のいい人。

 ハーバードでCの山を築いていたロバート・ケネディとはわけが違う。

 さてこのバンディ、それからどうなったかは次回ということで。
 相変わらずすごいぞー。
 なんだか笑いたくなるくらい華麗ですよ、ははは。

 はるる


 おまけの「本日のRFK」

 ふん、いいんだ、放っておいてくれ。
 どーせ、成績は悪かったよー。



 ま、ボビーは努力と根性の人だからねえ。