絵に描いたような・・・(承前)

 マック・バンディの快進撃人生は続く。

 しかし、彼はホワイトハウスに行く前に一つの経験をしています。
 それは、その後の彼の歩みの影の部分を象徴していると、ハルバースタムは暗示していると私は思います。
 その経験とは、バンディがその生涯で最初で最後の選挙に立候補したことと、その後彼がとった選択にまつわるものです。

 彼は、(本人の弁によれば)ろくな選挙活動もせず、あえなく落選します。
 ハルバースタムは、このことについて

 それ以来、彼はどのような選挙にも出馬しなかった。公衆や選挙民の支配に服そうとする道を選ばなかったのである。

と問題の急所をつくことをずばり書いています。

 この選挙民と直接出会うというのは非常に重要な点で、ハルバースタムによれば

 そこ(選挙戦)には、とくに強力な人間、すでに特権と資力をもっている人間にとって、人間性を回復し自らを顧みる貴重な鍛錬の場としての意味もある。その鍛錬を経たものは、選挙のけばけばしい安っぽさを乗り越え、国家の動向を肌で感じ、国民のもつ弱さに対し、理解とある種の愛着すら抱くことができるのだ。
 ジョン・ケネディを前から知っている人びとは、あのバージニア予備選挙のあとでケネディは人間が変わったと感じたものであった。同様に、選挙参謀だった頃のロバート・ケネディと候補者ロバート・ケネディはまったく別の人間であった。しかし、バンディは、この道をあきらめた。その代わり彼は、公衆からの圧力を無視し、私的閉鎖的エリートの枠内で権力を行使することに方向を転換したのだった。(121〜122pp)

 かくして、痛みをもって変容する機会を自ら切って捨てたエスタブリッシュメントの権化のようなバンディは、その後どのような道をたどったか。

 バンディは50年代をハーバードで過ごした。それは彼にとって幸せな年月であった。彼はカレッジの学生から圧倒的な人気を博していた。(中略)
 とくに新入生の授業を担当することが好きであった。政治学講義1の教師として彼は抜群であった。(123〜124pp)

 1953年、コナントがハーバードを去り西ドイツの高等弁務官としてボンに赴くと、弱冠34歳のバンディを次期総長に、という声が高まった。(中略)だが大学当局はネイサン・ピューシーを選んだ。中西部出身の敬虔な宗教家をもってくれば、同窓会も安心するだろうと考えたのである。その結果、バンディはハーバード・カレッジの学長となったにすぎなかった。(←十分じゃないですか、と思う凡才はるる。)127p

 非常に厳しい批判眼をもってしても、バンディはカレッジの学長として傑出していた。学内の官僚的な制約にもかかわらず、できる限り大学を開放し、その名声を一段と高めるうえで、名人芸にも似た業績を残している。(中略)
 バンディは病的なまでに自負心が強く、多種多様な人間で構成されているハーバード教授陣を相手にして、ある評論家の言葉を借りれば、猫が鼠を扱うように、これを手玉にとった。(129〜130pp)

 さて、恐ろしく洗練されたハルバースタムのバンディへの誉め殺し芸ですが、この辺りから彼の筆は氷の非難を包んでいたオブラート部分を捨てて、容赦なくなってまいります。

 官僚嫌いであるにもかかわらず、バンディはある意味で敏腕な官僚的政治家であった。周囲の人物をよく観察し、だれにお世辞を言うべきか、だれに言ってはならないかを心得ていた。(中略) 彼が用いたのは、事がうまく進まない場合、それはバンディの責任ではなく、バンディの報告を注意深く聞かなかった側の責任だと皆に感じさせてしまう舌の冴えなのであった。バンディの長所も短所も知っている友人は、こう語っている。
 「彼は素晴らしかった。彼がハーバードを去ると聞いて、わたしはハーバードのため、そしてアメリカのために嘆いたものだ。ハーバードのために嘆いたのは、彼が完璧な学長だったからだ。そして、あの尊大さ、傲慢さに非常な危険を感じたからこそ、私はアメリカのために嘆いたのである。(130p)

 こうして嘆かれつつ(?)、バンディは国家安全保障担当大統領補佐官となり、その職を国務省に匹敵しそれを凌駕する強力な縄張りにまで仕立てあげた上に、ベトナム戦争を拡大させた戦犯の一人となったのでありました。

 ホワイトハウスに入ってから最初の一、二年は、バンディにとって黄金の時代であった。彼は世界の諸問題を確実に掌握しているように見えたし、まさに彼にとって自分の栄光は国家の栄光であったから、長年の夢がここに実を結んだ観があった。だが、彼を知っている人たちは、何か大切なものがバンディには欠けていると感じていた。彼の思考と行動はあまりにも戦術的、機能的で、長期的展望を欠いていた。彼は、問題を解決しすぎた。疑問を疑問として残したり、時には待つということのできない、行動しなければ気のすまない人間であった。バンディにとって、一つの問題には実際的なただ一つの解答しかなかった。(140p)

 なんだか、ここにはとても大切なことが書かれているような気がします。人間という多面的で奥深い存在を理解し、なぜこんなに多種多様な人びとがこの世界に神に創造されて存在しているのかという世界の神秘を垣間見ることのできるような、大事なことが。



 ところで、『ベスト&ブライテスト』中巻では、この筆致でロバート・マクナマラ(「髪の毛を統計数字のように整理した男」)が一寸刻みにされてます。ハルバースタム、恐るべし。

 RFKがベトナム戦争に深く関与せず、途中から反対派になってよかったよ。ハルバースタムから筆誅を受けていたとしたら、そのダメージからボビーのイメージが回復できたとはとても思えません^^;。
 マクナマラなんて、これで評価が決まってしまったようなものだものね〜。くわばらくわばら。

 それにしてもこの本を読んでいると、アマルティア・センの「合理的な愚か者」という言葉が脳裏を何度もよぎります・・・。


 「頭がいい」とはどういうことなのかしら。
 知恵がある、叡智に満ちているということと、学校で測定されている頭の良さは何か決定的に異なるように思えますが。

 はるる