ドキュメンタリー映画二つ:「靖国」と「NAKBA」

 映画「靖国」が次々と上映禁止となっているみたい。

 名古屋でも上映をとりあえず中止するという小さな記事が。ショック。

http://www.yasukuni-movie.com/



 


 こういうのを言論弾圧というのでは。

 特に衝撃だったのは、一部の国会議員たちが事前に見せろと要求した件。何の権利があって、そのようなことをするのですか。

 この件については鈴木邦男氏の意見がいいと思うので、リンク。

 鈴木邦男をぶっとばせ!


それと、一日に「NAKBA」を観て来ました。多くの人に見てもらいたい。是非、全世界で公開して貰いたい映画です。


 パレスチナ1948 -NAKBA-

 
 映画の内容は書籍にもなっています。そちらも読みましたが、これは映像で観ないと!


 



 映画の中で、ある村の虐殺事件を歴史的に調べ続けているパレスチナ人青年が、「世界中の人はホロコーストについては本を出し、映画ができ、みんな記憶している。でも、誰もパレスチナで何が起こったか、起こっているか、関心を持たない。なぜ?ユダヤ人は人間で、我々は動物だとでも?なぜ?なぜなんだ?」と問う。それが、胸に突き刺さりました。

 
 記憶の力関係の問題が、歴然とこの世界にはある。

 ニューヨークのワールド・トレード・センターの死者は、その名前も背景も記憶され、記録も残っている(ニューヨークタイムズが、ずっと連載していた)けれど、私はアフガニスタンで戦争に巻き込まれて死んだ市民の名前を一人も知らない。

 アメリカの死者は記憶されているのに、アフガニスタンイラクの死者は記憶されない。

 派遣会社からイラクに送られて悲惨な労働条件のもとで働き、死んでいく「社員」も記憶されない。

 靖国も記憶と関係しますが、記憶にまつわる力関係の問題を考えなければと思っています。

はるる