犬だって夢を見たい

 題名に深い意味はありません。丸谷才一氏の『猫だって夢をみる』をもじってみたくなっただけです。

 そう、私は突如として丸谷才一氏(尊敬しているので氏付け。なぜ様づけでないのかと問われても、私もその答えを知らない)のエッセイ集を無性に読みたくなってしまったのであります。

 手元にある文庫本は『花火屋の大将』と『猫だって夢を見る』の二冊だけだったので、とりあえず、渇きを癒すためにこれを読みました。

 いやあ、いつ読んでもいいですねえ。

 縦横自在にして軽妙洒脱、薀蓄満載にして飄々たる味がある。
 日本語を母語とする日本人に生まれて幸せ!と感じてしまう。

 昔、丸谷氏が自分の本を若い女性が読んでいるところを見たことがない、自分に若き女性の読者はいるのかという主旨のエッセイをお書きになっていたことがあります。

 その文章を読んだとき、私はよほど丸谷氏の文庫本を片手に目黒界隈(丸谷氏のご自宅がある)をうろついて、ちゃんと読者はいるとお慰めしようかと思ったものでした。その頃は私もまだ20代初めのうら若き女性だったんです。

 要するに、それくらい丸谷氏のエッセイを愛読して氏への敬愛の情深かったということです。はい。

 
 丸谷氏のエッセイを読む度に、ああ、こんな文章を私も書けたらなあ…などと分不相応にも程があることを夢想してしまう。

 犬だってそういう夢をみたっていいじゃないか、ということで無理やり題名につなげて、拙いオチとさせていただきます。

 

花火屋の大将 (文春文庫)

花火屋の大将 (文春文庫)

 


 この読書には一つ問題があって、それは丸谷氏のこの手のエッセイを次から次へと読みたくなってしまうことです。彼のエッセイには中毒性があるのですよ。

 今は『男ごころ』を読んでます。

 

男ごころ (新潮文庫)

男ごころ (新潮文庫)

 
 こうなったら、『犬だって散歩する』も読まなくちゃいけない。

 


 と言いながら、これから読み出そうとしているのは、小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』だったりするのでした。どういう読書生活だと思われそうですが。(この本を実はまともに読んだことがなかった。お恥ずかしい。)

 あ、フロイス、少しずつ読んでいます。


 

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性


 はるる