わたしの名前は希望です
昨日出会った、やなせたかしさんの詩。
絶望のとなりに誰かがそっと腰掛けた
絶望は隣の人に聞いた
あなたはいったい誰ですか
となりの人はほほえんだ
わたしの名前は希望です
今年の11月に日本で列福式が行なわれる、ペトロ岐部と日本の187人殉教者を、福音の記憶として、また行き詰って衰退している日本の教会への神からの希望として見る話が語られた際に、その冒頭に読まれた詩。
なんてベタな詩とあきれられそうですが、私はこれを耳にしたとき、いたく感動してしまいました…。
日本の教会の衰えについては日々感じてますから。そして、400年前と現代をこのように結べばいいのだという一つの視点をいただきましたから。
感動ついでに、これを読みました。(子供向けの本ですが。)
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米沢の信者たちが処刑される際、刑場で米沢藩の奉行がキリスト教徒ではない見物していた人びとに対して「この者たちは己の一念(信仰)のために命を棄てる、潔い者たちである。
皆の者、土下座するようお願い申す」と言ったとありまして、今の教会にこう言わせる力があるか?と思ってしまいました。
信徒たちは孤児や貧困者、病者を助ける活動を熱心にしていたこともあって、米沢藩ではとても尊敬されていて、米沢藩の藩主が最初は幕府に対して「キリシタンは我が藩には一人もいない」と言ってかばっていたそうですが、現代の教会は全然かばってもらえなさそうだ。
米沢藩のキリシタンはなかなか興味深いので、自分でもう少し調べてみようと思います。
ところで、ペトロ岐部の名前を冠したお菓子があるんですね。知りませんでしたわ。
はるる