トニー・ブレアと信仰

 今週のTIMEの特集は、ブレア前首相の信仰と、5月30日に始めたばかりのInstitute for Global Changeについてで、読み応えがありました。

 TIME

政治音痴の私は全然知らなかったのですが、トニー・ブレアという人は本気でキリスト教を信じているというか、神に対する信仰が深く、19世紀のグラッドストーン以来、自分の信仰心をはっきりと公にした首相だったのですね。へえ〜。

 社会全体の世俗化が激しいイギリスにあって、ブレアは宗教に冷淡な両親のもとに育ったにもかかわらず子供のときから信仰心篤く、キリスト教を鼻でせせら笑う雰囲気が充満していたオックスフォード大学に進学してからも、確固たる信仰を持つある人物に出会ったことからキリスト教を「再発見」してさらにキリスト者としての自覚を強めていったという、なかなか珍しいお人。

 彼は1974年にイギリス国教会の所属になりますが、妻となるシェリー・ブースはリヴァプール生まれのアイルランドカトリックで、彼女もこれまた名ばかり信者とは程遠い熱心な信者で、結婚前の二人は何時間も神について語り合っていたというから、半端じゃない。

 シェリーによれば「私が出会ってきた人の中で、司祭以外で彼くらい宗教が大事である人はいなかった」ということで、本当に真剣に信じているのですね。

 4人の子供はみなカトリックとして育ち、国教会信徒でありながらブレアは20年以上もカトリック教会のミサに行っており、家族と同じ教会に属したくて首相を辞めた後カトリックになったとあって、彼の改宗の背景が分かりました。


 現代の政治家でキリスト教信仰が深いという人物に私は関心があります。
 信仰と政治家としての活動の関係性、つまり、宗教がどのように政治家の政治スタイルに影響を及ぼすかということに興味があるのです。

 ジョージ・W・ブッシュのように善悪二元論的に現れる場合もあれば、ロバート・ケネディのように司牧的アプローチの形で出てくる場合もありますが、ブレアの場合は、より諸宗教間の対話と協力の方に向かっているようです。
 
 この点がブッシュと全然違うように思います。どうしてブレアが、イラク戦争においてあんなにブッシュに追随したのか、よく分からん…。


 宗教や信仰について一家言あるブレアの言葉はなかなか穿っていて、読んでいて面白かったです。

 「ムスリムの人は(イスラム原理主義の)過激派についてあれは宗教とは本当に全然関係がないのだと言いますが、私は彼らに言うんです。あの人たちは、自分は神の名においてそれをやっているのだと言っている。だから、私たちは別に構わないよなどとは言えない。まさに重要な問題だ、と。」

 「もしあなたが人びとの生活において宗教がとても重要な力だということを知らないなら、この世界で何が起こっているかを理解できると望むべくもないのです。」

 「政治における最悪のことは、支持を失うことを恐れるあまり自分が正しいと思っていることをしないということです。信仰に出来ることは、何が正しいかをあなたに教えることではなく、正しいことをする力を与えるということです。」

 …すると、彼はイラク戦争は正しいことだ、たとえ国民の支持を失ってもと思ったということなのか?

 面白かったのは、首相時代どの国に行っても必ずブレアは日曜には教会に行くことを欠かさなかったそうですが、教会を探すことと並んでスタッフが厳守しなければならなかったのは、絶対にそれをマスコミにかぎつけられないようにすることだったという話。彼は自分の信仰を公に表明していても、それを人に誇示することは嫌だったみたい。
 イギリス社会の雰囲気がそういうことを許さないのかな。アメリカとは宗教事情が全然違うみたいだから。

 アメリカのクリントンやブッシュが聖書片手に教会から出てくるところを写真に撮られたがるのと、まさに対称的とTIME記事の筆者は述べています。 


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 夜、ちょびちょびと『郊外へ』を読んでいます。やはりいいですね、堀江さんの文章と文学世界は。ざわめく心を鎮める力がある。

郊外へ (白水Uブックス―エッセイの小径)

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はるる