クリスマスと教皇メッセージ

 一日遅れでありますが、主の御降誕おめでとうございます。


 ほぼ一週間滞在していた東京から、今夜名古屋へ帰宅しました。

 今日の午後、イエズス会の再渡来100周年を閉幕するミサが四ツ谷のイグナチオ教会でニコラス総長司式で行なわれ、その中で7人のイエズス会の司祭が最終誓願を立てるというので、参列。(なにせ、最終誓願者の多くが知り合いなもので。)

 厳粛なミサでした。

 興味深かったのは、最終誓願の文言の中に「教皇文書とイエズス会の会憲に従い云々」という箇所があったこと。

 さすがは教皇の派遣に忠実に従うという第四誓願を立てるイエズス会、会憲だけでなく「教皇文書」も絶対的に従うべきものになるんだ!

 え?カトリックの信徒はみなそうであるはずではって?えーと、それはむにゃむにゃ…。

 ま、それはさておき。

 ということは、この度、教皇ベネディクト16世が出された「世界平和の日」のメッセージ(2009年1月1日)にもびしっと従うということかな?

 09年のメッセージのテーマは「貧困と闘い、平和を築く」。今回のメッセージは気合を入れて読もうと思っています。
 …と書くと、今までの教皇メッセージは適当に読んでいたことがばればれですが(~_~;)。


 全文は


 カトリック中央協議会

 
 にて読めます。  


 以下にいくつかの箇所を抜粋します。
 読みやすいように、改行を多くしています。
 

 ・・・人間が作り出すあらゆる極度の貧困の根源にあるのが、人間の人格の超越的な尊厳に対する尊重の欠如であることは、依然として真実です。人間をその召命全体とのかかわりから考えず、真の意味での「人間のための環境保護」(4)の要求をないがしろにするとき、貧困の残忍な力が野放しにされます。


 (中略)


 ・・・グローバル化による世界の貧しい人の貧困化を是正するための有効な手段は、世界中の人が、世界の不正と、それに伴う人権の侵害の被害を受けたと自ら感じることです。

 
 (中略)


 荒れ野や腐敗のただ中にぜいたくな家を建てるのは、まったく愚かなことです。グローバル化は自ら平和を築くことができません。また多くの場合、グローバル化は現実に分裂や紛争を生み出しています。いずれにせよ、グローバル化は次のことが必要であることを示しています。


 すなわち、各人また万人の善を求めるという、深い連帯性に基づく目標に向けて、グローバル化を方向づけなければならないということです。


 これを読んで、24日のミサの説教を思い出しました。

 神父さんが繰り返されたのは、次のこと。(私の記憶で書いてますので、不正確ですが。)


 「神にできないことは何ひとつない」(ルカ1章37節)
 
 だから、この壊れやすい弱い小さな赤ちゃんを、あなたに託す。

 と神は言われている。


 神の望んでおられることをこの世で具体的に行なっていくのは、一人ひとりの人間。神の手は私たち一人ひとりを通して働く。

 

 要するに、人間の尊厳を大切にするかどうかなのだと思います。

 人を人として扱うかどうか。


 それで、先日観た


 NHKスペシャル


を思い出しました。


 あの中で、「フレキシキュリティ」をキーワードとするヨーロッパ、特にオランダの取り組みが紹介されていましたが、国民みなが痛みを分かち合うという思想に胸を打たれました。

 日本もそういう社会であってほしい。私は人の痛みを知らん顔する人間でありたくない。痛みを分かち合いたい。

  
 『ルポ 解雇』に描かれているような、人間の尊厳を軽んじる今の日本のあり方は恐ろしいです。

 


 はるる