カウフマン卿の演説
先週、転居は終えたものの引っ越し完了まではまだまだ遠い道のりです。
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遅ればせながら。
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/845 より(演説全訳はこれを参照して下さい。)
「ガザにいるパレスチナの祖母たちを虐殺するイスラエル兵士たちよ、ナチスに殺された我が祖母の死を隠れ蓑にするな」
ジェラルド・カウフマン卿
私の両親はポーランドから避難民として英国に来ました。両親の親族のほとんどがその後ホロコーストでナチスに殺されました。祖母は、ナチスがスタシュフの町に侵攻したとき、病床にありました。ドイツ軍兵士がベッドに伏せていた祖母を撃ち殺しました。
祖母の死を、ガザにいるパレスチナの祖母たちを虐殺するイスラエル兵士の隠れ蓑にしないでください。現在のイスラエル政府は、パレスチナの人々に対する殺戮行為を正当化するために、ホロコーストにおけるユダヤ人虐殺に対し異教徒たちが抱き続けている罪の意識を冷酷かつ冷笑的に悪用しています。それは、ユダヤ人の命は貴重であるが、パレスチナ人の命は価値がないとする視点を暗黙に示唆しています。
イスラエル外相ツィピー・リブニは、ハマースはテロリスト組織なので、政府は彼らとは交渉しないと主張しています。リブニ外相の父、エイタン・リブニは、テロリスト組織であるイルグン・ツバイ・レウミの最高運営執行官で、エルサレムのキング・ディビッド・ホテルの爆破を計画した人物です。その事件では4人のユダヤ人を含む91人が殺され犠牲となりました。
イスラエルはユダヤ人のテロリズムから生まれました。ユダヤ人のテロリストたちは二人の英国人軍曹を縛り首にし、その死体に地雷爆弾を仕掛けました。イルグンはテロリスト組織であるシュテルン・ギャングと一緒に、1948年にデイル・ヤーシーンの村で254人のパレスチナ人の大虐殺[訳注2]を行いました。
(中略)
私はかつてイスラエルの偉大な外相であったアバ・エバンと多くの政策で平和のために共闘したものでした。そのエバンが言っていました。「平和を築くためには、敵と話あうものだ」
ガザでどれだけ多くのパレスチナ人をイスラエルが殺したとしても、この実存的問題を軍事的手段で解決することはできません。いつ、どのような形で戦闘が終わろうとも、ガザには150万人のパレスチナ人がいて、くわえて西岸地域には250
万人のパレスチナ人がいます。パレスチナ人は、イスラエル人からゴミのように扱われています。何百ヶ所にものぼる通行止めがあり、身の毛がよだつほど恐ろしいユダヤ人不法入植者から嫌がらせを受けています。そのうち、今から遠くない将来、パレスチナ人人口がイスラエルのユダヤ人人口を上回るときが来るでしょう。
(後略)
演説原文はこちら。
今後読みたい本。
イラン・パペ、パレスチナを語る─「民族浄化」から「橋渡しのナラティヴ」へ
- 作者: イランパペ(語り),ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉(編訳)
- 出版社/メーカー: 柘植書房新社
- 発売日: 2008/03/10
- メディア: 単行本
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2009-02-21 - Arisanのノートで読んだ、この本からの引用部分に驚きました。
はるる