パッシビズムの技術
最近、高木仁三郎先生の本も(再び)読み始めました。
まず手に取った『原発事故はなぜくりかえすのか』は、何度も読み返したい本となりました。
これは、日本の思想を考察するうえでも、大事な本ではないでしょうか。
- 作者: 高木仁三郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2000/12/20
- メディア: 新書
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読んでいて付箋だらけとなりましたが、特に一か所引用させていただきます。
(読みやすいように、引用者が勝手に改行をしていますので悪しからず。)
技術的な極致はパッシビズムということだと私は思うのです。つまり、ことさらに外から何か巨大なシステムや大動力を導入したり、あるいは人為的な介入をやって危機状態を乗り切ろうとしている限りにおいては、いくら安全第一をモットーとしても、やはり人間のすることですから、うまく働かなければ人為ミスが起こって必ず事故につながるので、大事故の可能性は残ってしまいます。
あらゆる場合に、自然の法則やおのずと動いているさまざまな原理によって、人為的介入がなくても、事故がおこまるようなシステム、これを基本に置いた設計がなされるべきでしょう。
重力によって水が高いところから低いところに流れるとか、熱も高いところから低いところに伝わるとか、そういった自然法則に十分依拠したようなシステム、これを私はある人の考えを借りてパッシビズムの技術と呼んでいますけれども、それならばうまくいくかもしれないと思うのです。
原発は自然の法則に逆らったシステムの典型みたいなものですが、それに対するパッシビズムの極致というのは、自然の法則にもっと従ったシステム、たとえば太陽熱のように基本的に循環の中でエネルギーを賄っていくようなシステムです。
そういうシステムへと全体が移行していくようになれば、安全の問題にも解決が望めるように思います。
いま我われをとりまいている安全への懸念は、パッシビズムの方向に解消していくのではないでしょうか。
私はここで単純に原発の問題から反原発論へということを言うつもりはありませんが、原発というのはアクティビズムの極致の技術ですから、そこにはやはり自然の法則に逆らって人間が非常に巨大な能動的な装置を持ち込み、自然界を制御しているようなところがあるわけです。
そのようなものの考え方や制御の仕方、システムのあり方は、これからは古くなってくるかもしれない。そういうものに依らない文化を考えることが、本当に安全文化を考えることであると思います。
私はかつて、「現代技術の非武装化」という言い方をしたことがあります。それは私の問題意識として常にありました。
現代技術というのは、非常にアクティブで、自然界に対してダイナミックな力をもって介入していくようなところがあります。いったんそれが破綻すれば大事故にもつながるし、戦争の道具にも使われるような強力さを持っています。
それに対して、多少作業能率を落としてもいいから、もう少しパッシブで平和的で、大きな破綻や事故を招かないで済むようなシステムを取り入れていく方向に技術というものを考えていくことが、本当に安全文化を考えることになるのではないでしょうか。
(178〜180ページ)
この技術の非武装化、パッシビズムへの方向転換を、今、真剣に私たちが望み、求めるものではないかと思いました。
はるる