地雷原の上のカーニバル

 日経オンラインに掲載された記事「原発再稼働決定に福島から警鐘を鳴らす人々 日本は地雷原の上でカーニバルをしているのか」(福島出身のジャーナリスト、藍原寛子氏のもの)から、以下抜粋。
 強調は、引用者である私がしています。

 全文は、以下でどうぞ。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120619/233482/?mlp

 

(前略) 

在職当時から、国や原子力安全保安院の対応、原発の安全政策に対して問題提起を続けている前福島県知事の佐藤栄佐久氏に6月15日、再稼働の問題点を聞いた。


 佐藤氏は今年3月、EU議会の会議でも発言したように「我が国は『原子力帝国』になっている。エネルギー政策は民主主義の熟度を測るものだが、民主主義からかけ離れてしまった」と改めて国、原子力安全保安院の問題を指摘する。


 「原発のチェック機関は文部省の科学技術省にあったが、2001年1月1日の省庁再編で原子力安全保安院を作り、経済産業省に入れてしまった。これが『原子力帝国』と指摘する理由の一つだ。(当時知事だった)私は、この省庁再編から5日後の1月6日、200人以上の課長以上の県職員を前に訓示した。


 省庁の『省』は『三省』(何度も反省すること)、そして『省くこと』(節約)だと。そして県庁の『庁』は旧字体で『廰』、つまり『家で聴く』と書く。つまり、県民の声を十分に聞くように、と。ところが国はそうなっていない」
 

 さらに今回の福島第一原発事故は「人災である」とも語る。


 「原子力安全委員長が事故から10日ほど後にテレビで会見したが、『今回の事故を起こさないための対応をしたら、天文学的な数字(の予算)がかかる』という、まるで『事故が起きても仕方がない』というような発言をしていた。ところが多くの人が警鐘を鳴らしていた。

 1つは2006年、原子力安全委員会・耐震指針検討分科委員で地震学者の石橋克彦氏が、『同分科会が耐震指針を変えない』との結論を出したことに対し、問題を指摘、辞任した。

 このことに関しては先月、原子力安全保安院原子力安全委員会に対して『古い耐震指針であっても安全性に問題はないと表明するように』求めていたことが分かった。

 また、脱原発団体などの皆さんが質問しているが、2010年6月17日、福島第一原発2号機がメルトダウン寸前までいき、まるで今回の原発事故の予行演習をやったかのような状況が起きたこと。こういった点からも、人災であると言える」と、その理由を述べた。

(中略)


 「もんじゅの事故の際、私は、『国はブルドーザーのようにそこのけ、そこのけと進めないでほしい』と言った。


 2004年には『戦車のように進めるな』とも言ってきた。国民の意見を聞かずに『(日本のために原発は)必要だから、安全だ』という話は信じられない」と、世論を無視した再稼働への怒りで語気を強めた。


(中略)

 
 原発立地町の富岡町の生活環境課(原子力担当の課)課長を務め、東電の一連の不祥事をきっかけに設立された「福島県原子力発電所所在町情報会議」で長年、事務局長を務めた白土正一さん(現在は退職)も、原発再稼働後の状況を懸念する一人。

(中略)


 白土さんは「再稼働の前にすべきことがある」として、以下の3点を挙げた。


(1)定期検査で十分かどうかの検証。全電源喪失になったら原発は深刻な事態になることが今回初めて分かった。非常用ディーゼルの早急な高台移設も必要



(2)配管の破断状況の情報公開と検証。原発の生命線が経たれるような問題を抱えているのではないかという疑問もある。高経年変化の影響の検証も必要



(3)厳しい検証が行われていない断層問題の分析



 さらに「今回の再稼働で、はたして安全が最優先なのか、供給が最優先なのか、はっきりしない。電力が足りなくなると言って再稼働するが、大いに疑問がある。


 原子力がシビアアクシデントを迎えたら、国家そのものがどうなるのか。滅亡するような事態に陥る可能性もある。 


 現時点ではまず、最大限の安全確保をすべきではないのか。

 
 全国の原発廃炉にしろとは言わないが、代替エネルギー再生可能エネルギーをどうやって増やすか、エネルギーに関して国民的な議論を深め、将来のビジョンを検討すべきだ」と安全確保が確認できないままの再稼働への疑問を訴えた。

(中略)


 40年以上も地元富岡町原発反対運動をしてきた石丸小四郎さん(双葉地方原発反対同盟代表)だ。息子夫婦は関西に避難してしまい、現在はいわき市内で1人避難生活を送る。石丸さんも再稼働を批判する。


「とにかく何が頭にくるかといえば、熱狂的に原発を推進してきた人にも、反対してきた私たちにも、分け隔てなく放射能が降り注いだということだ。推進してきた人たちと一緒に私たちも逃げなくてはならなくなった」


 「とにかく再稼働しようと言う人は、決定的に想像力が欠如している。想像力を働かせれば、他の原発でも福島と同じような事故や被害が起きる可能性がある。

 この狭い日本で、『自分には放射能は降り注がない』と思っているのだろうか。自分は常に安全地帯にいてこの状況を眺めていて、再稼働しようという感覚は異常だ」


「しかも福島県民の声を無視している。震災後、764人もの人が震災関連死しており、このうち避難区域11市町村の住民が650人、全体の8割を占める。

 人口減少、避難生活、自殺、病気、介護、出産、障がい者施設の苦難や子どもの屋外活動制限、そして放射能による環境汚染。放射能によって苦しんでいる人々の思いに少しでも目を向けたら、再稼働はあり得ない。

 それに福島第一原発4号機の燃料プールの問題。いつ崩壊するかもしれない危険をはらんでいる」と問題を指摘した。


(中略)

 ある外国人記者が石丸さんに言ったという。「日本は地雷原の上でカーニバルをしているようだ」。石丸さんはこの言葉を衝撃を持って受け止めた。


 「まさにその通りだと思った。命が二の次になっている。命を最優先に考えられない、そういう考え方の延長線上に、日本の衰退の原因があるのではないか」 (後略)

 「経済」がこれほどまでに至上価値となっているのは、異常な気がする。

 国破れてもあるはずの山河を失ってしまったら、どうするのか。

 今、この国は、金の卵が欲しいからと、金の卵を産むがちょうを殺してしまう愚を犯そうとしているのではないか。

 野田さんたちは、あんな事故がもう一度起きるなんてないと楽観視しているのでしょうが、広島の次に長崎に原爆が落ちたように、このままだと2回めが起きてもおかしくないと思います。

 ここでカーニバルをやめて、立ち止りましょうよ。

 カーニバルよりも大切なものがいろいろあると、去年私たちは否応なく思い知らされたのではないでしょうか。

 
 はるる