光の中で戯れる何か
気が付けば、もう7月も終わりに近くですが、私は猛暑でへろへろでございます。
どうしてこんなに暑くて、仕事なんてとてもできないような時期に、仕事の大波がぶるかるのでしょうか。とほほ…。
この暑さの中で読んだ本の中で、涼しさを呼び起こしたのは、『ショック・ドクトリン』でした。
並みのホラー小説なんかより、ずっと怖いですよ。事実だというわけに余計に。
『政府は必ず嘘をつく』の内容と重ね合わせつつ読むと、恐怖も倍増です。
暑いので、感想を書く気が起こらないのです、すみません。
ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く
- 作者: ナオミ・クライン,幾島幸子,村上由見子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/09/09
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ショック・ドクトリン〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く
- 作者: ナオミ・クライン,幾島幸子,村上由見子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/09/09
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ところで先日、吉田秀和さんについての『クローズアップ現代』を観て、「そこに自分のが考えがあるか」という問いかけに、改めて粛然としています。
それを貫くことが、どうして難しいのか。番組を観つつ、己の軟弱ぶりと日和見主義ぶりを振り返ってしまいました。
あの番組の中で、最晩年の吉田さんが「この国は病んでいる」ということを書かれて、非常に国を憂えておられたという件がありましたが、それを聴きながら、「ああ、私その文章読んだなあ、その時、それを読んで、ああ、吉田秀和さんがこんな風に書かれているとは」と、読んだ時のちょっとしたショックを思い出しました。
番組の中で出てきた原稿は、『レコード芸術』2011年11月号の連載「之を楽しむ者に如かず」中の「トリフォノフ、一条の光」です。
この国は重く深く大きな傷を抱えている。この国は病んでいる。それは時がたえば治るだろうと、簡単にいえないような性質のもののように、私には、思える。
確かに、この国の傷は、一朝一夕に治るものではなく、この病の根は非常に深く、歴史的にも長く、私たちはこれから、この傷の陰に長く苦しむことになるだろうという気が私もします。
それでも、近代以降の歴史の歪みが噴出したような今日の状況について、仕方がないと知らん顔は出来ないし、勇気をもって直面し少しでも良い方に変わっていくことを志向しなければと思います。時間は本当にかかるでしょうし、本当に痛い思いをするでしょうし、途中で逃げ出したくなるかもしれませんけど。
吉田秀和さんの絶望に近い、この遺言のような言葉を読むと、前途多難が思われて、こうした絶望的な状況を作り出した一員として、気が重くなりますが――。
この文章の後半には、そういう重苦しい日々の中で、ふっと聴いたダニール・トリフォノフという若手ピアニストのCD(『プレイズ・ショパン』)がよかったことが書かれています。
(前略)このトリフォノフという青年がひいたのは、練習曲といっても、作品10の8のどちらかといえば軽く明るい曲。それだけ。それがまるで小鳥が枝から枝に飛び移りながら、心の赴くままに転がっているようなタッチで、何の屈託もなく鳴らされる。
それをきいていて、私は「あっ、こういうことをして歌い、楽しんでいる青年もいるのだ、このうっかりすると全面的崩壊に至るかもしれない世界の淵に生きていて……」と思った。
世界は一つではない。壊れかけている世界があるからといって、どこかにはまだ光の中で戯れている何かが残されているのだ。この音楽は、そこから来たメッセージだった。
「どこかにはまだ光の中で戯れている何かが残されている」
闇の中に光は輝く。
以下は、トリフォノフの演奏。
はるる