セデック・バレ第二部

 今日見ないともう見られないと、無理やり『セデック・バレ』第二部を観に映画館に足を運びました。

 第二部は延々と戦いの話、つまり殺し合いの話だったので、観終わってぐったり…。

 そして、2時間以上ある映画を観ている時間の半分以上は、涙を流し続けでした。

 花岡一郎、次郎の死で涙、女性たちの集団自殺(あまりにも淡々と死んでいくのが、怖かった)で涙、セデックの主要人物が死んでいくたびに涙、という感じ。

 人間の尊厳、誇りを踏みにじられることくらい、人にとって辛いことはないということはよく伝わりましたが、同時にモーナ・ルダオの奥さん(?)が口走る、「うちの男たちはみな大バカだ」の一言に大いに共感したのも確かです。(なにせ、セデックのマヘボ社の人びとはほぼ全滅だし。)

 誇りをかけて闘うモーナたちの姿に心打たれると同時に、彼らの文化の獰猛な面はどうしても受け入れがたく、かといって、日本軍がしていることも、結局は洗練された(その分、たちの悪い)残酷さなわけで、第一部に続いて、またまたそのあたりを考えれば考えるほど、くたびれたのでありました。

 毒ガスを使うと決めた鎌田司令官が、「文明を与えてやったのに、こっちを野蛮にしおって」という意味のセリフを言いますが、日本が彼らに与えてやった「文明」って、
所詮は西洋文明(学校制度も郵便制度も電話も、ほとんどすべて)なのでは?と、 日本の植民地支配の立ち位置を考えてしまう。
 そもそも文明を与えてやるという発想自体が間違っているわけですが。

 日本が根本的に与えた「文明」は、天皇を中心とした「国体」なわけで、それも相手にとってはちっともありがたいわけではない。

 それだけに、「おれたちは天皇の赤子か、セデックの子か」というせりふに胸を衝かれました。

 ところで、最後の方で、日本軍の司令官がセデック族に大和魂を見るセリフがありますが、確かに、この両者、戦いに関する文化が実は似ている。(その文化を私は肯定しきないけれど。)

 文化摩擦なのに、共通もしていて、ますます考えていると、頭がこんがらがります。

 考えを整理するのに、少し時間が必要だなあ。

 モーナ・ルダオさんには、やることの全ては肯んじられなかったですが、それでもやっぱり、その姿に惚れ惚れしたのは第二部も同じでした。

 はるる