拿破崙(ナポレオン)島の段

 先日、『團團珍聞』という明治10年(1877年)に創刊された、イギリスの風刺雑誌『パンチ』を手本にした雑誌に目を通す必要があり、明治当時の『團團珍聞』の和装本をめくっておりますと、ナポレオンがたった一人でセントヘレナ島にいると「奥方」(って誰やねん。ジョゼフィーヌか、マリー・ルイーズか?)がはるばるやってくるという、なんだかすごい話を見つけました。

 ナポレオンが完全に歌舞伎になってます(^_^;)。

 奥方様との出逢いの場からちょいと引用。(旧漢字は新漢字に、変体仮名は普通のひらがなに直してます。)

 …遥に人の走り来る影見えければ
 「ハテ不思議やナ、世界離れし此島に人の有るべき様はなし狐狸妖怪の態(わざ)ならん。我流謫(さすらい)の虚を伺い、誑惑(たぶらか)さんとは面悪(つらにく)し。今引捕え本体を顕わし呉(くれ)ん怪物め」
と手ぐすね引て待つ所へ頭の赤毛ふり乱し、履(くつ)をもはかず只独(ただひとり)息もせわしく馳来(はせきた)り其儘そこへ倒れ伏(ふし)何者やらんと立寄て面を見ればこはいかに
 「ヤわりゃ女房」
 「そう云あなたは我夫(わがつま)様」。
 互にあきれて顔見合せ暫(しば)し詞(ことば)もなかりしが涙をはらい奥方は
 「あなたに御別れもうしてより、今日は西班牙、葡萄牙、翌日(あす)は瑞西(スイス)、那威(ウィーン)、泣いてありしの船ならぬ車の上に夜を明かし、御後をしたい今一度お目にかかるを楽しみに雨にぬるるも雪風にあたる苦労も厭(いとい)なく、尋ねる甲斐もウォートルローの軍(いくさ)に御敗(やぶれ)と聞いて此の身はいかにせん便りするにも行方のたしかに夫(それ)とわからねばあるに甲斐なきテレグラフ、長き別れとなる中に国に還れば父母(ちちはは)の思いも寄らぬ夫(つま)定め、立(たつ)る操をやぶらじとパリスをぬけて数々の憂き目をしのび十字神祈り申せし三週の廿一日満願の其の夜、はからず羽のある人に伴いまいりました。」
 聞いて驚く拿破崙(ナポレオン)、「さては平生信仰の耶蘇基督の利生なるか。アラ有難や忝(かたじけ)なや」と天を拝して諸共に
「我々の志しを遂げさせ玉え。我々の禍を救い玉えアーメン」礼拝せしが(以下省略)

 長々と引用したので、ご退屈でもあったでしょうか(というより、これをちゃんと読んでくださる方がおられましょうや?)、しかし、これ、すごく調子がよくて、ホント声に出して読めばまるっきり歌舞伎です。
 せりふ回しだけでなく、史実も何も無視しまくっている点も。

 なんか、勘三郎の声でせりふを言っている気分で読みました。団十郎ではない気がします。
 俊寛を連想する話じゃなあ。

 個人的には「十字神」に祈るとか、「耶蘇基督の利生」なんていう言い回しや、「アーメン」でしめくくるお祈りをナポレオン夫妻がしている(あのナポレオンがするとはとても思えないが)ということが、面白かったですねー。
 「羽のある人」は天使でしょうね。
 満願なんて言って、日本の民間信仰キリスト教を語っているのが何ともいえません。

 はるる