尊者ピエール
『12世紀ルネサンス』と『寛容の文化』を読んでいて、どちらにも出てくるクリュニー修道院長だった尊者ピエールに興味を覚え、もう少しこの人のことを知りたいなと思っています。
- 作者: 伊東俊太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/09/08
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ピエールは、1142年にピレネーを越えてトレドに行き、そこで『クルアーン(コーラン)』をはじめイスラームに関する資料をヨーロッパ人として初めてラテン語に翻訳させて、正確に相手を理解しようとした人物。
彼自身はアラビア語が出来なかったため、チェスターのロバートを始めとするアラビア語とラテン語間の翻訳家にかなりの報酬を払って『クルアーン』やムハンマドに関する資料を訳してもらい、それを『トレド集成』という本にしました。
その後ピエールはキリスト教徒の立場からイスラームに対する論駁書を著していますが、書き出しなどを見ると、相手への敵意や憎悪や偏見からというより、対話したいという意志があるような気がします。
『論駁』の書き出し。
ペトルス・ウェネラービリスはイスラム教徒への愛から、この書を始める。我々の仲間がしばしばなしているように、武器によってではなく言葉によって、力によってではなく理性によって、憎しみによってではなく愛によって、私はあなたがたに語りかける。(『12世紀ルネサンス』63頁)
第二回十字軍派遣の説教によりヨーロッパを熱狂させ、北方への十字軍を神学的に正当化したピエールのライバルだったシトー会の聖ベルナールに、ある種の非寛容さを感じる*1者としては、尊者ピエールのような態度につい安堵してしまうのですが、この辺り、もう少し調べてみたいところです。
でも、これ以上何を見ればいいのか。クリュニー修道院関係だと力点が違うみたいだし。
はるる