CRUCIFY MY LOVE

 やっと(というのも変ですが)、日本のメディアが曽野さんのコラムについて報道し始めましたね。

 互いに意見の異なる者同士で叩き合ったり蔑み合ったりしないで、何とか対話していけたらと思うのですが、どうかしら。

 なんか、X JAPANのこの曲なんか聴いてみたくなったりして。

 ロス暴動(1992 Los Angeles riots)を悲しみ、「人種間の愛」を訴えた曲、だそうで。
 メロディと歌詞、そして声が好きです。
 

 

 はるる

海外の日本についての報道と外交

 忙しいと言いたくないのですが、このところ、尋常でない忙しさ。何なんだ…。

 仕事関連以外の本を読めない日々が続き、ちょっと辛いところです。

 ただ、夜寝る前にちょびちょびと『京都の染め職人たち』なんて本を読んで、なんとか心の均衡を保っています。

 

 ところで、最近、日本に関する海外メディアの記事をいくつか読みました。

 その中の一つは、曽野綾子氏の2015年2月11日付産経新聞のコラム内容に関するもの。

 概要はこちらでどうぞ。
 
http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/13/sono-ayako-column_n_6677760.html


 私個人としては、曽野氏の書かれたコラム本体を読んでいない以上、その是非に関して、(現在のところ)個人的なコメントはできませんが。
 

・The Japan Times
(Feb 12, 2015 Article history)

"Author Sono calls for racial segregation in op-ed piece"

http://www.japantimes.co.jp/news/2015/02/12/national/author-sono-calls-racial-segregation-op-ed-piece/#.VOA5MukcSAg


・The Daily Beast

"The Newspaper Columnist Who Wants to Bring Apartheid to Japan"

http://www.thedailybeast.com/articles/2015/02/12/an-advisor-to-pm-abe-praises-apartheid-says-it-might-help-japan.html


・Reuters

"Japan PM ex-adviser praises apartheid in embarrassment for Abe"

http://www.reuters.com/article/2015/02/13/us-japan-apartheid-idUSKBN0LH0M420150213

・The Wall Street Journal

"Author Causes Row With Remarks on Immigration, Segregation "

http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2015/02/13/author-causes-row-with-remarks-on-immigration-segregation/



 もう一つは、日本政府の歴史問題(慰安婦関連)についての広報活動についての記事。

http://www.reuters.com/article/2015/02/10/us-japan-diplomacy-campaign-idUSKBN0LE0O920150210

 翻訳が内田樹先生のブログにありました。

http://blog.tatsuru.com/2015/02/12_1816.php
 
 この日本政府のやり方は非常にまずいと思い、本当に心配です。手痛い結果になると、ダメージ大きいのではと。

 外交はイメージで決まる部分があるため、日本の海外イメージが今後どうなるか。
 こうした報道(視点、言われ方)をされ始めているということそのものに、注意しないといけないのではないかなと気を揉んでいます。

 こういうメディアは反日でという風な、嘲りや罵倒や無視では済まない結果につながりそうで、やきもきしていはいるのですが、私がここで心配してても、どうもなりませぬ。

 ちょっと心暗いです。

 はるる

OECD has rejected trickle-down economics

 OECD(経済開発協力機構)レポートが、昨年12月に「トリクル・ダウン」理論を否定していたと今日知って、おおっと思ったはるるです。

 今頃知るというのも、遅いけど…もう一か月たってますがな。
 というか、日本の新聞記事で読んだ記憶がない。
 まあ、12月はかなり忙しくて、まともに新聞を読んでいなかったから見落としたのかな。

The Gardian の記事を下に貼り付けます。

http://www.theguardian.com/business/2014/dec/09/revealed-wealth-gap-oecd-report

 

Revealed: how the wealth gap holds back economic growth
OECD report rejects trickle-down economics, noting ‘sizeable and statistically negative impact’ of income inequality

Larry Elliott, economic editor   The Guardian, Tuesday 9 December 2014


The west’s leading economic think tank on Tuesday dismissed the concept of trickle-down economics as it found that the UK economy would have been more than 20% bigger had the gap between rich and poor not widened since the 1980s.

Publishing its first clear evidence of the strong link between inequality and growth, the Paris-based Organisation for Economic Cooperation and Development proposed higher taxes on the rich and policies aimed at improving the lot of the bottom 40% of the population, identified by Ed Miliband as the “squeezed middle”.

Trickle-down economics was a central policy for Margaret Thatcher and Ronald Reagan in the 1980s, with the Conservatives in the UK and the Republicans in the US confident that all groups would benefit from policies designed to weaken trade unions and encourage wealth creation.

The OECD said that the richest 10% of the population now earned 9.5 times the income of the poorest 10%, up from seven times in the 1980s. However, the result had been slower, not faster, growth.

It concluded that “income inequality has a sizeable and statistically negative impact on growth, and that redistributive policies achieving greater equality in disposable income has no adverse growth consequences.

“Moreover, it [the data collected from the think tank’s 34 rich country members] suggests it is inequality at the bottom of the distribution that hampers growth.”

According to the OECD, rising inequality in the two decades after 1985 shaved nine percentage points off UK growth between 1990 and 2000. The economy expanded by 40% during the 1990s and 2000s but would have grown by almost 50% had inequality not risen. Reducing income inequality in Britain to the level of France would increase growth by nearly 0.3 percentage points over a 25-year period, with a cumulated gain in GDP at the end of the period in excess of 7%.

“These findings have relevant implications for policymakers concerned about slow growth and rising inequality,” the paper said.

“On the one hand it points to the importance of carefully assessing the potential consequences of pro-growth policies on inequality: focusing exclusively on growth and assuming that its benefits will automatically trickle down to the different segments of the population may undermine growth in the long run, in as much as inequality actually increases.

“On the other hand, it indicates that policies that help limiting or – ideally – reversing the long-run rise in inequality would not only make societies less unfair, but also richer.”

Rising inequality is estimated to have knocked more than 10 percentage points off growth in Mexico and New Zealand, nearly nine points in the UK, Finland and Norway, and between six and seven points in the United States, Italy and Sweden.

The thinktank said governments should consider rejigging tax systems to make sure wealthier individuals pay their fair share. It suggested higher top rates of income tax, scrapping tax breaks that tend to benefit higher earners and reassessing the role of all forms of taxes on property and wealth.

However, the OECD said, its research showed “it is even more important to focus on inequality at the bottom of the income distribution. Government transfers have an important role to play in guaranteeing that low-income households do not fall further back in the income distribution”.

The authors said: “It is not just poverty (ie the incomes of the lowest 10% of the population) that inhibits growth … policymakers need to be concerned about the bottom 40% more generally – including the vulnerable lower-middle classes at risk of failing to benefit from the recovery and future growth. Anti-poverty programmes will not be enough.”

Angel Gurría, the OECD’s secretary general, said: “This compelling evidence proves that addressing high and growing inequality is critical to promote strong and sustained growth and needs to be at the centre of the policy debate. Countries that promote equal opportunity for all from an early age are those that will grow and prosper.”

 うちの首相は、このOECD報告書を読んでいらっしゃるかしら。

 それとも、この方がまだトリクル・ダウン理論を主張されているのは、確信犯ということ?
 
 はるる

 
 
 

あけましておめでとうございます

 なんと、昨年9月以来、更新してなかったのですね、私。
 ということに今日、気が付いたはるるでございます。

 年末年始は、所用でシカゴに行っていました。私にとってシカゴは10年ぶりで、満喫してきました。(もちろん仕事もしましたけど。)

 到着した日の最高気温が8度という、「ど、どうしたんだ、シカゴ!」と言いたくなるような暖かさで、まさに異常気象。

 29日頃から、さすがに気温は通常のシカゴに戻り、マイナス14、15度となりましたが、珍しく毎日青空が続き、冬のシカゴとは信じられない気候が続きました。

 この青空!冬のシカゴで! Incredible!
(すみません、写真が縦になってしまいました。が、どうやって修正すればよいかが分からず…。)

 しかも、1月3日に帰国しメールをチェックしたら、シカゴの友人から、私が飛び立った翌日から更に気温が下がり、雪が降り始めたという連絡があり、己の幸運を噛みしめましたわ。

 今回、かつてシカゴ在住中に大好きでよく通った本屋 Seminary Co-op Bookstore に行くことができ、それも嬉しかったことの一つでした。

そこで購入した本の一つが、これ。

 

Habits of Change: An Oral History of American Nuns (Oxford Oral History Series)

Habits of Change: An Oral History of American Nuns (Oxford Oral History Series)

 
 これは、副題が示す通り、アメリカ合衆国の修道女たちのオーラルヒストリーを集めた本です。著者が第二ヴァチカン公会議前に修道会に入会し、公会議を体験した人を中心に、自由に自分の人生を語ってもらう形で、50人以上のシスターたちのオーラルヒストリーを集成しています。

 まだ途中ですが、面白くて読むのを中断するのが残念なくらい、私には興味深い本です。

 この本は、おそらく、2001年に出版された Poverty, Chastity, and Change: Lives of Contemporary American Nuns という本に、「使徒的訪問」が始まった後の2010年に生存者に新たにインタビューをして、それを加えた、いわば改訂版だと思います。


Poverty, Chastity, and Change: Lives of Contemporary American Nuns

Poverty, Chastity, and Change: Lives of Contemporary American Nuns

 「使徒的訪問」は、2008年から続けられ、アメリカ合衆国の400以上の活動修道会を対象とするもので、終了後、2014年9月に最終報告書が提出されました。

 始まった当初、「訪問」は非常に恐れをもたれ、「報告書」もどんな否定的発言が出るかと戦々恐々で待たれていた報告書でしたが、読んでみたところ、その内容が、かなり前向きというか、肯定的なもので、よかったなあと思いました。

 教皇ベネディクト16世からフランシスコに変わったことも影響しているのかな?


https://lcwr.org/media/report-vaticans-apostolic-visitation-us-women-religious
 
 上記のサイトから、「最終報告書」(PDF)が読めます。

 この「使徒的訪問」が何冊かの本の出版を刺激したのですが、その中の一冊が、Habits of changeでした。

 なお、使徒的訪問に関しては、Power of Sisterhood という本が出ていて、それを読んでみようかと考え中。

 

Power of Sisterhood: Women Religious Tell the Story of the Apostolic Visitation

Power of Sisterhood: Women Religious Tell the Story of the Apostolic Visitation

 それでは、今年もよろしくお願いします。 

 はるる
 

『洗脳』を読んでみた

 お久し振りです。

 X JAPANを聴いたこともないのに(そんなバンドがあったなくらいの認識しかないおばさんの私)、ヴォーカリストのToshlが書かれた『洗脳 地獄の12年からの生還』を読みました。

 

洗脳 地獄の12年からの生還

洗脳 地獄の12年からの生還

 手にした動機は、マインドコントロールの被害者が赤裸々にそのあたりのことを書いた本だということで、そこに興味を持ったからで、ファンの人からはどやされそうですね。

 夕食後に読み始め、読みだしたら止まらず一気読み。
 その内容(著者が受けた精神的、肉体的虐待の日々、およびカルトのトップにいる人物MASAYAとToshl氏の妻であった守谷香の非人間性)の凄まじさに衝撃を受け、その日の夢見の悪かったこと。
 と同時に、最終章は人間への希望を感させるものでもあり、いい本だと思いました。
 
 この本を読んだら、どんな歌を歌う人なんだろ?とか、本の中に出てきた心理カルト(当時の名前は、ホームオブハート=HOH)の支配下にあって、苦しんでいた頃のコンサートってどんなのだろう?とか好奇心がむくむくと湧き上がってきて、動画で検索して、初めて歌を拝聴。

 なお、このカルトに関しては、下のサイトをご参照ください。

 http://www.htphtp.com/index.html


 さて、動画でいくつか歌を聴いてみて、私はおお、この人は、なんて上手い人なんだ!と感動してしまいました。
 こんなに素晴らしい歌い手を知らずに今まで生きてたのか!という別の衝撃を受けましたね。

 ハードロック系?…ジャンルもよく分かりません(^^;)の激しいのは、ちょっと聴くのが辛いものもありますが、バラード系は文句なし。

 1997年の解散コンサート。下のような本の記述を読んでから、拝見すると、非常に複雑な思いがするというか、心が痛みます。
 と同時に、そんな中で、こんなに素晴らしく歌えるという、この方の底力が驚異でもあります。
 

 そして、本番当日(引用者注:ラストコンサートの当日)。

 朝九時。ホームオブハート本部に入り、地下室で三時間にわたって特に激しい罵倒と暴力を受け、泣き叫んだ僕は、歌う声も残っておらず、頭も真っ白な状態になっていた。

 十二時。ホームオブハート本部を出て東京ドームへ向かった。車中で気になっていたのはコンサートの模様がテレビ生中継されることだった。MASAYAや森谷らから
「テレビで見ている」と言われていた僕は、(どんな顔をしてあのステージに立てばいいんだ。ステージ上で余計なことはしゃべれない)と思っていた。YOSHIKIたちメンバーとの気まずさよりも、MASAYAや守谷らの顔色のほうを気にしていたのだ。

 午後五時三十分開演。東京ドームが暗転し、メンバー登場のオープニング曲、YOSHIKIの作曲した「AMETHYST」が大音量で流された。僕は、熱狂の声を上げる超満員のファンの歓声の真っただ中にいた。だが、その歓声はすぐに消えMASAYAや守谷の声が脳裏に響いていた。
 「X JAPANヴィジュアル系とかいう、もっとも自我の強いおぞましい集団の頂点に君臨する悪の権化だ」

(中略)

 一曲目の演奏が終わり、何をしゃべったらいいのか、言葉を失った。
 「X JAPANのラストライブを迎えました……」
 やっとの思いでそこまで言うと、また言葉を失う。
 するとまたMASAYAと守谷の声が聞こえてくる。
 「ハイエナのようなファンにちやほやされて鼻の下を伸ばしているうじ虫男!」

 (中略)

 数曲ののちまたトークの機会があった。そこでも何を語ったらいいか、言葉に詰まっていた。
 するとまたあの声が取り憑いたように聞こえてくる。
 「お前のような宇宙的犯罪者は地獄のような人生を送る」(86〜88頁)

 このようにフラッシュバックに苦しむ彼を救ってくれたのは、HIDEだったという話がこの後綴られています。

 その数か月後に死去したHIDEを偲んで作曲されたという「Without you」は名曲と思いました。

 下の動画は、2008年のX JAPAN復活コンサート。
 この時、まだToshlさんはHOHの支配下にあった。

 


この本を読んでから、彼の歌うBorn to be freeを聴くと、感無量の思いになりました。

 

 
 にわかX JAPANファンのはるる
 

日本文学1000作品で片山広子を知る

マザーテレサの言葉(だそうです)。

 「思考に気をつけなさい。 それはいつか言葉になるから。
  言葉に気をつけなさい。 それはいつか行動になるから。
  行動に気をつけなさい。 それはいつか習慣になるから。
  習慣に気をつけなさい。 それはいつか性格になるから。
  性格に気をつけなさい。 それはいつか運命になるから。」

 8日間の黙想に行って、私はまさにこの言葉通りの危ない路を歩んでいたことに目が開かれたところだったので、余計にこの言葉が身に染みました。

 
 ところで、自分が持っている電子辞書の中に、いろんな(おそらく著作権切れの)文学作品が山ほど入っているということに今更ながら気が付きまして、軽井沢からの車中であれこれ読んでみました。
 幸田露伴の「観画談」とか、岡本綺堂の「半七捕物帳」からの数作品とか、マハトマ・ガンディーの「神、国王、国家」とか。…なんでこんなものが「日本文学1000作品」と題されたものの中に収録されているのか、よく分からないんですが(^^;)。
 作家の一覧を眺めていると、よく知らない名前がいろいろで、数作品を拾い読みしてもみました。

 片山広子の「燈火節」(カトリックの聖女ブリジットにまつわる話だった。文章に品があって、好き)。
 木村荘八の「浴衣」。

 好奇心から堺利彦の「婦人の天職」なども読んでみた。これは結構皮肉がぴしりと効いていて、面白かったです。昨今の女性にヤジを飛ばす議員たちに読ませて差し上げたいですわ。

 この「日本文学1000作品」には、『夜明け前』や『大菩薩峠』まで収録されていたのには驚きました。

 ついつい『夜明け前』を読み始め、これが結構面白いものでぐいぐい読み進んでしまいましたが、なにせ、画面が紙ではなく、電子辞書の画面だから、目が疲れます。これが難点ですね。
 キンドルを持つ人の気持ちは分かったけれど、私はかさばっても、やはり紙の本を持ち歩きたいです。

 ところで、片山広子さんについて、ちょっと調べてみました。全然知らない人だったので。

 Wikipediaにも簡単に説明が載っていましたが、馬込文学マラソンというサイトのがよかったので、そちらを張り付けておきます。

 http://www.designroomrune.com/magome/k/katayama/katayama.html


 以下は、上記からの一部引用(小見出しは省いてあります)。 

 明治11(1878)年2月10日、東京の麻布三河台の一角で生まれる。 父親はニューヨークの総領事を務めた人。 妹(次子)と弟(東作)がいた。東洋英和女学院は自宅から1kmほどだったが寄宿し、宗教的、文学的、西洋的素養を身につける。 明治29年(18歳)、卒業後、佐々木信綱に入門し短歌を学ぶ。 歌誌 「心の花」 に創刊時から参加した。 明治32年(21歳)、のちに日本銀行理事となる片山貞次郎と結婚する。


 明治34年(23歳)頃から 「心の花」 に英訳文を掲載、大正2年(35歳)頃から鈴木大拙夫人ビアトリスについて本格的に翻訳を学ぶ。 大正5年(38歳)に第一歌集 『翡翠』 を上梓。 短歌にマンネリを感じ、また歌壇に身を置くことを好まず。 歌から離れて、松村みね子の名でアイルランド文学の翻訳に専念する。 大正9年(42歳)に夫と死別。 大正10年(43歳)に 『ダンセイニ戯曲集』 を、大正12年(45歳)に 『シング戯曲全集』、大正14年(47歳)にマクラオドの 『かなしき女王』 を訳出した。 文体は流麗で、坪内逍遥森鴎外からも高く評価され、今もアイルランド文学や幻想文学のファンの間で人気がある。 文学活動を仕事と考えなかった片山は、稿料を受け取らなかったという(※2)。

 昭和3年(50歳)、女性だけの文芸誌 「火の鳥」 の創刊を渡辺とめ子にすすめる(※3)。 昭和10年(57歳)頃、短歌に復帰。 菊池寛は片山を 「日本婦人中もっとも学識がある」 と評した。


 昭和19年(66歳)、浜田山(東京都杉並区)に移転、一人暮らす。 翌年、長男の片山達吉死去。 第二歌集の 『野に住みて』 が編まれるのは、昭和29年、75歳のときだった。 昭和31年(78歳)、「燈火節」でエッセイスト賞を受賞。


 最近、ちらちらとNHK朝の連続テレビ小説花子とアン」を見ている(蓮子さまと花子さんの着物姿がいいわ)私としましては、この片山さんが村岡花子とつながりがあったという記述に目がいきました。(私としては珍しく、観られる時は朝ドラを観ています。小学生の頃アンブックスを全冊読破し、アンシリーズが好きだった者としては、観ちゃいますね。)

 

 ・村岡花子
 東洋英和女学院の後輩。 村岡は片山を慕って馬込文学圏(中央二丁目)入りした。 彼女に翻訳を勧めたのは片山である。 家事の苦手な村岡に片山はご飯のおかずを届けることもあった。

 
 村岡花子がアンを訳した陰には、片山広子あり、か?

 なお、この片山広子さんは、クチナシ夫人と呼ばれていた由。

 

 片山広子は、芥川龍之介室生犀星から “クチナシ夫人” と呼ばれていた。 片山の清楚な外見をクチナシの花になぞらえたのだろう。

 しかし外見だけのことではない。 片山は決して人を悪く言わない典雅な人だった。 クチナシには、とかく人を悪く言う庶民の口(クチ)を持たない(ナシ)という意味も込められたようだ(※1)。

 片山以外でも、ときおりは人を悪く言わない奇特な人はいる。 しかし残念ながら、これらの人は往々にして、自分だけは特別扱いだ。 自分のことだけは思い切り悪く言う。 その人が短歌を作る人ならば謙遜して、 「私の作る短歌なんて本当につまらないものですのよ・・・」 とか言う。

 で、片山はどうだったかというと、違う。 全然違う。 彼女が書いた下の文章を読んでいただきたい。

 長い代々のわが敷島の道にあつては、一つの歌を見る時、その歌が萬葉人のであつても、西行や實朝のであつても、また自分自身のものであつても、同じように一つの歌として計りみるべきものと私は信じてゐる。自分のものであつても、しひたげ潰すことは罪である。(片山広子「お声そのままに」より)

 彼女は、偉い先生の短歌だけをありがたがって、自分が作るものを蔑むのは 「罪である」 とまで言い切る。

 彼女は謙虚な人だったろう。 でも、彼女の謙虚は、卑下には結びつかない。 ある意味、厳しい生き方だろう。

 うーん、私、好きだなあ、この方。紙媒体でもっとこの人の作品を読んでみたい。

 

燈火節―随筆+小説集

燈火節―随筆+小説集

 

 シングの『アラン島』を訳しておられるのか、この人は。ますます興味が湧いてきました!

 評伝(かな?)も出ているのですね。なかなか読めないでしょうけど。
 『片山廣子 孤高の歌人』(清部千鶴子、短歌新聞社、1997年)。


片山広子―孤高の歌人

片山広子―孤高の歌人



 はるる
 

チャルカ

 なんだかんだと仕事に追われ、気が付けばお盆も過ぎて、一か月以上もブログを顧みることもないままでしたが、残暑お見舞い申し上げます。

 最近読んだ本の中から、メモ代わりに、ここに抜き書き。

 ガンディーの運動の柱は二つある。ひとつは非暴力の基礎となるサッティーヤグラハ(真理の把握=受動的抵抗)として知られている。もうひとつはヒンド・スワラージ(インドの自治、国産の推進)である。その両方が交差するところに、「手織り布地(カーディ)および手紡ぎ車(チャルカ)の運動」が位置づけられた。
 (25〜26pp。)


 イギリスの社会思想家ジョン・ラスキンに強い影響を受け、弁護士と理髪師の仕事の価値は同じでなければならないと、彼(引用者注:ガンディー)は考えた。また農民と手工業者の質素な労働生活こそが真の生活であるとも考え、自らそれを実践しようとしたのである。ガンディーはのちに、詩人タゴールに次のような言葉を送っている。

   食うために働く必要のないわたしが、なぜ糸を紡ぐのか、と聞かれるかも知れません。なぜならわたしは自分に属していないものを食べているからです。わたしは同胞たちを掠(かす)めて生きているのです。あなたの懐に入ってくるすべての貨幣の跡をたどってごらんなさい。そうすればわたしの言うことが真実なのを実感なさるでしょう。なんぴとも紡がねばなりません!タゴールも紡ぐがいい。他の人びととも同じように。(26〜27pp。)



  ガンディーはイギリスのテレビカメラの前で「国王と会う時もその格好ですか」と問われ、「もちろんです。他の格好をしたら失礼です。自分を偽ることになりますから」と答えている。「社会における衣類とは何か」の答のひとつが、ここにはある。衣類は世界・社会の中での自分の位置と思想を示す媒体(メディア)であり、本来そうあるべきだ、という考え方だ。ソースタイン・ヴェブレンは1899年の『有閑階級の理論』で、近代では人々の価値基準が「みせびらかすための閑暇」と「みせびらかすための浪費」になった、と書いた。閑暇と金銭的富は、それをもつ者の能力の高さを眼に見えるかたちで表現するからである、と。

(中略)

 近代で一般的になったこの衣類観は、「他の格好をしたら失礼です。自分を偽ることになりますから」という衣類観とは正反対だ。ガンディーは自分を偽るという意味でこの時、artificialという言葉を使っている。artificialを否定するのか肯定するのか、衣類は人の位置と思想を示すメディアであるのか、人の能力の高さを誇示するメディアであるのか、この二つの態度が近代に生まれた、と言えるだろう。ただしマーケットが賑わうのは後者の場合のみであった。
 今まで見てきたように、ガンディーの運動に見える布は、思想と生き方そのものであり、またそれを広く伝えるメディアとして機能した。そこには二つの側面があった。ひとつは衣類すなわち「何を着るか」という面であり、もうひとつはそれをどう作るか、すなわち「労働の方法、人間の生き方」という面であった。どちらも、ガンディーの日々の生活と命をかけておこなわれた。彼は実際に自分で作り、自分の身にまとった。(31〜32pp。)



 (ウィリアム・)モリスは弁護士でもなく有色人種でもなく建築家志望の芸術青年であったから、差別体験とは縁がない、しかしやはり、近代の工業社会の問題はまず「労働のしかたにある」と考えていた。


   (中略)

   中世の職人は自分の仕事をやるのに自由であった。それで、できるだけ、それを自分に楽しいようにした(中略)(彼らの)労働は非常に少ない価値しかもっていないので、自分や他人を楽しませるためにそれを何時間、浪費しても文句はいわれなかった、しかし、現代のはりきった機械工の場合には、その一秒一秒が無限の利潤にふくれあがっているから、芸術などにその一秒たりとも費やすことは許されない。

 
 (中略)


 モリスはこのように、工業製品の醜悪の根本には、喜びをともなわないなげやりで効率第一主義の労働があると見て室内装飾を扱う会社を作った。(中略)中世の職人が芸術を作り出し得たのに、なぜ近代の向上に芸術は不可能なのか?それがモリスの問いである。その答のひとつは、人の労働が人の全体性から切り離され、時間で買われているからであった。(36〜38pp.)


(中略)



 ガンディーは糸紡ぎで健康を取り戻したが、モリスにも同じようなことがあった。フィオナ・マッカーシーは興味深いことを書いている。「手作業による反復のリズムは、生まれつきの落ち着きのなさと、とげとげしさを抑えることができるものとモリスは信じていた。実際、モリスは文字通り何かに触れているということを感じている必要があった」と。工業化と大量生産・大量廃棄、それを支える社会のスピード、リズム、分断、労働、差別、搾取――ガンディーもモリスもそのただ中で生きていた。止められない工業化の進展に逆行する手仕事への情熱は、単に頭脳で考えられた企図ではなく、その不健康な身体の底から湧き起こってくる「全体的人間」への渇望であったのではないか。その時身体は「もの」を求めていた。なぜならかつて「もの」は、人を自然界につなぎとめ、社会によって分断された個人の、全体性を取り戻してくれるメディアだったからである。(39〜40pp.)


 以上、田中優子『布のちから』に収められた「メディアとしての布」からの抜粋。

 

布のちから 江戸から現在へ

布のちから 江戸から現在へ


 私は、これまでガンディーの非暴力の側面に関心を持ってきましたが、最近は、チャルカを回してかディーを織り、工業化社会とは別の方向を指し示していた、彼のもう一つの側面にも関心が出てきて、ぼちぼちとそのあたりのことを調べ始めてます。

 3・11の後、何かに突き動かされるように、手縫いで服を作り始めた(といってもスカート程度だけど)私としては、スケールは思いっきり違うにせよ、ガンディーやモリスが感じていたことと自分が無意識のうちに感じていることの間には、何かつながりがあると感じています。

 これから、どうなっていくか、分かりませんけど。

  以下は、上記とのつながり読書で、いずれ読んでみた本たち。
 
 ガンディー関連
 

真の独立への道―ヒンド・スワラージ (岩波文庫)

真の独立への道―ヒンド・スワラージ (岩波文庫)


 モリス関連 

決定版 ウィリアム・モリス

決定版 ウィリアム・モリス

ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流 (平凡社新書)

ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流 (平凡社新書)

世界のはての泉 (上) (ウィリアム・モリス・コレクション)

世界のはての泉 (上) (ウィリアム・モリス・コレクション)

ユートピアだより (岩波文庫)

ユートピアだより (岩波文庫)

民衆の芸術 (岩波文庫 白 201-2)

民衆の芸術 (岩波文庫 白 201-2)

 
 これも、『ユートピアだより』みたいに、新たに岩波文庫で出ないかなあ。

 ヴェブレン関連

有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)

有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)


 はるる