チャルカ
なんだかんだと仕事に追われ、気が付けばお盆も過ぎて、一か月以上もブログを顧みることもないままでしたが、残暑お見舞い申し上げます。
最近読んだ本の中から、メモ代わりに、ここに抜き書き。
ガンディーの運動の柱は二つある。ひとつは非暴力の基礎となるサッティーヤグラハ(真理の把握=受動的抵抗)として知られている。もうひとつはヒンド・スワラージ(インドの自治、国産の推進)である。その両方が交差するところに、「手織り布地(カーディ)および手紡ぎ車(チャルカ)の運動」が位置づけられた。
(25〜26pp。)
イギリスの社会思想家ジョン・ラスキンに強い影響を受け、弁護士と理髪師の仕事の価値は同じでなければならないと、彼(引用者注:ガンディー)は考えた。また農民と手工業者の質素な労働生活こそが真の生活であるとも考え、自らそれを実践しようとしたのである。ガンディーはのちに、詩人タゴールに次のような言葉を送っている。
食うために働く必要のないわたしが、なぜ糸を紡ぐのか、と聞かれるかも知れません。なぜならわたしは自分に属していないものを食べているからです。わたしは同胞たちを掠(かす)めて生きているのです。あなたの懐に入ってくるすべての貨幣の跡をたどってごらんなさい。そうすればわたしの言うことが真実なのを実感なさるでしょう。なんぴとも紡がねばなりません!タゴールも紡ぐがいい。他の人びととも同じように。(26〜27pp。)
ガンディーはイギリスのテレビカメラの前で「国王と会う時もその格好ですか」と問われ、「もちろんです。他の格好をしたら失礼です。自分を偽ることになりますから」と答えている。「社会における衣類とは何か」の答のひとつが、ここにはある。衣類は世界・社会の中での自分の位置と思想を示す媒体(メディア)であり、本来そうあるべきだ、という考え方だ。ソースタイン・ヴェブレンは1899年の『有閑階級の理論』で、近代では人々の価値基準が「みせびらかすための閑暇」と「みせびらかすための浪費」になった、と書いた。閑暇と金銭的富は、それをもつ者の能力の高さを眼に見えるかたちで表現するからである、と。
(中略)
近代で一般的になったこの衣類観は、「他の格好をしたら失礼です。自分を偽ることになりますから」という衣類観とは正反対だ。ガンディーは自分を偽るという意味でこの時、artificialという言葉を使っている。artificialを否定するのか肯定するのか、衣類は人の位置と思想を示すメディアであるのか、人の能力の高さを誇示するメディアであるのか、この二つの態度が近代に生まれた、と言えるだろう。ただしマーケットが賑わうのは後者の場合のみであった。
今まで見てきたように、ガンディーの運動に見える布は、思想と生き方そのものであり、またそれを広く伝えるメディアとして機能した。そこには二つの側面があった。ひとつは衣類すなわち「何を着るか」という面であり、もうひとつはそれをどう作るか、すなわち「労働の方法、人間の生き方」という面であった。どちらも、ガンディーの日々の生活と命をかけておこなわれた。彼は実際に自分で作り、自分の身にまとった。(31〜32pp。)
(ウィリアム・)モリスは弁護士でもなく有色人種でもなく建築家志望の芸術青年であったから、差別体験とは縁がない、しかしやはり、近代の工業社会の問題はまず「労働のしかたにある」と考えていた。
(中略)
中世の職人は自分の仕事をやるのに自由であった。それで、できるだけ、それを自分に楽しいようにした(中略)(彼らの)労働は非常に少ない価値しかもっていないので、自分や他人を楽しませるためにそれを何時間、浪費しても文句はいわれなかった、しかし、現代のはりきった機械工の場合には、その一秒一秒が無限の利潤にふくれあがっているから、芸術などにその一秒たりとも費やすことは許されない。
(中略)
モリスはこのように、工業製品の醜悪の根本には、喜びをともなわないなげやりで効率第一主義の労働があると見て室内装飾を扱う会社を作った。(中略)中世の職人が芸術を作り出し得たのに、なぜ近代の向上に芸術は不可能なのか?それがモリスの問いである。その答のひとつは、人の労働が人の全体性から切り離され、時間で買われているからであった。(36〜38pp.)
(中略)
ガンディーは糸紡ぎで健康を取り戻したが、モリスにも同じようなことがあった。フィオナ・マッカーシーは興味深いことを書いている。「手作業による反復のリズムは、生まれつきの落ち着きのなさと、とげとげしさを抑えることができるものとモリスは信じていた。実際、モリスは文字通り何かに触れているということを感じている必要があった」と。工業化と大量生産・大量廃棄、それを支える社会のスピード、リズム、分断、労働、差別、搾取――ガンディーもモリスもそのただ中で生きていた。止められない工業化の進展に逆行する手仕事への情熱は、単に頭脳で考えられた企図ではなく、その不健康な身体の底から湧き起こってくる「全体的人間」への渇望であったのではないか。その時身体は「もの」を求めていた。なぜならかつて「もの」は、人を自然界につなぎとめ、社会によって分断された個人の、全体性を取り戻してくれるメディアだったからである。(39〜40pp.)
以上、田中優子『布のちから』に収められた「メディアとしての布」からの抜粋。
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私は、これまでガンディーの非暴力の側面に関心を持ってきましたが、最近は、チャルカを回してかディーを織り、工業化社会とは別の方向を指し示していた、彼のもう一つの側面にも関心が出てきて、ぼちぼちとそのあたりのことを調べ始めてます。
3・11の後、何かに突き動かされるように、手縫いで服を作り始めた(といってもスカート程度だけど)私としては、スケールは思いっきり違うにせよ、ガンディーやモリスが感じていたことと自分が無意識のうちに感じていることの間には、何かつながりがあると感じています。
これから、どうなっていくか、分かりませんけど。
以下は、上記とのつながり読書で、いずれ読んでみた本たち。
ガンディー関連
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ウィリアム・モリス―ラディカル・デザインの思想 (中公文庫 お 48-2)
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ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流 (平凡社新書)
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世界のはての泉 (上) (ウィリアム・モリス・コレクション)
- 作者: ウィリアム・モリス,川端康雄,兼松誠一
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これも、『ユートピアだより』みたいに、新たに岩波文庫で出ないかなあ。
ヴェブレン関連
有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)
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ヴェブレン 経済的文明論―職人技本能と産業技術の発展 (MINERVA人文・社会科学叢書)
- 作者: T.ヴェブレン,Thorstein Veblen,松尾博
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はるる